『Paradice Lost』


 長い長い、乾いた土の上。
 カシムを含むゲリラのグループは、各々武器を持って黙々と歩いていた。
 ふと、誰かが何かに気がついたのか。ザックから双眼鏡を取り出し、目を凝らす。
「ヤコブ、オアシスが見えるぞ」
 双眼鏡を覗いた男の歓声に、カシムは傍らを歩く老戦士を見上げた。
 彼は至極落ち付いた様子で、男に言った。
「いや。この辺りはオアシスも枯渇している。予定通りに進むぞ」
 その言葉に、男は肩を落として頷いた。
 ヤコブの言葉は、重い。
 彼は、ずっとこの地で戦ってきたのだから。
 ヤコブは、この涸れた土地を熟知している。だからこそ、今日まで生き延びてきたのだ。
 それからグループは、灼熱の太陽の下を延々と歩き続けた。


「ヤコブ」
 夜、予定通りの中継地点に到着し、めいめいが焚き火を囲んでいるなか。
 カシムは、ヤコブに尋ねていた。
「ここに、オアシスはあったのか?」
「うむ。お前は知らないだろうが」
「そうか」
 カシムが小さく頷く。
 周りが、静かだった。
 ぱちぱちと、焚き木が爆ぜる音しか聞こえて来ない。
 この男は、いつも皆と離れた所にいる。
 耳を澄ませてみれば、遠くで男たちの談笑する声が微かに聞こえてくる程度だ。
「カシム。昔はここも、楽園のような所だったのだ」
「楽園?」
 オウム返しに尋ねた。カシムは生まれてこのかた、楽園と称する所を見た事が無い。
「緑がたくさんあった。作物も沢山取れた。美しい彫像もそこかしこにあった。しかし、今は何かもかもが 失われたのだよ」
 静かな、それでいて哀しそうな口調だった。
 カシムはそれきり、何も言えなくなった。


 ――それから。


 相良宗介は、学校の図書館にいた。
 特にこれといって用事は無いが、千鳥かなめが待ち合わせ場所としてここを指定したのだ。
 本人は少し遅れているようで、暇を持て余して館内をゆっくりと回る。
 しばらくして。
 ふと目に付いた背表紙に、宗介の目が釘付けになった。
 タイトルは『楽園だった国−アフガニスタン−』。

 手が、知らず知らずのうちにその本を手にしていた。
 表紙の写真に、惹かれた。
 美しい、緑。
 まるで取り憑かれたかのように、宗介はページをめくっていく。



 大きく茂る樹。大地を覆う黄金色の絨毯。美しい彫像の数々。
 穏やかな表情の人々。
 いきいきと働いている顔は、輝くような笑顔。
 
 これが、ヤコブの言った楽園なのだろうか。
 こんなにも、人々は幸せそうに暮らしていたのだろうか。


「ソースケ!」
 ぽん、と、気楽に肩を叩く気配に、宗介は戦意を持たずに振り返った。
「千鳥か。遅かったようだが」
「ごめん。生徒会の仕事が長引いてさ」
 ぱちん、と両手を合わせ、ばつの悪そうな笑顔で千鳥かなめがまくしたてた。
「じゃ、行こうか。――ところで、どうしたの?」
「――いや、何でもない」
 かなめの問いに答えて、宗介はそっと本棚にしまい込んだ。


 あの国は、楽園だった。
 だが、今は
 楽園だった日々は、失われたままだ。
 涸れたオアシスもそのままで。

 失われた楽園が、戻ってくる日は、来るのだろうか。