「……んじゃ、俺帰るわ」 まるで緊張感のない声で、クルツが言った。 ふと見れば、彼はすでに着衣を整え、オリーブ色のバッグをひょいと肩に引っ掛けた 所だった。 ああ、そうか。 宗介は、やっと気が付いた。 昨日はマンションにクルツが遊びに来て。 ――訂正。彼が上がり込んでいて。 そして、流されるままに身体を重ねて。 ――で、どうやクルツは、休暇を消化してメリダ島の基地に帰るつもりらしい。 それならば、自分はと見れば。 ベッドの上で、何も着ていないあられもない姿で。身体中のそこかしこに、淡い紅の痕 が残っていたりする。 その状態に、宗介はやはり仏頂面を険しくした。 「また来るよ。近いうち、休暇が取れたらな」 そう言って笑うと、クルツはさっさとマンションを出て行った。 後に残されたのは、未練がましい女みたいに座り込んでいる、自分。 何だか、腹が立つ。 いつもでたっても、彼に敵う気がしない。 傍若無人、身勝手極まりなく。 そのくせ人を自分のペースに巻き込むのが異様に上手く、今もこうやって自分を煙に 巻いたりする。 「……まったく、あいつは」 閉じられたドアの向こうを見やり、小さく呟いた。 この日は、日曜日。 別に取りたてて用事がある訳でもなく、宗介は昼過ぎまで家事に追われた。 掃除機をかけて、食器を洗って、洗濯をして。 ただ、何もない一日。 と。 「?」 自分の部屋に、見なれない物を見つけた。 白い紙製のソフトケース。中央に赤い丸が大きくプリントされ、その中に『LACKY S TRIKE』と黒字で入っている。 クルツの煙草だ。そう直感した途端、流石に慌てた。 まずい。自分は煙草を吸わないのに。 千鳥が間違ってこんなものを見つけたら、どう言い訳すべきか。 「あいつは、何を忘れて……」 やはり険しい顔で独り言を呟き、それを拾い上げる。 ごみ箱に投げ入れようと、して。 ぱたりと、その手が止まった。 「…………」 しばらく無言でソフトケースのパッケージを見つめ、やがて。 意を決したように、ケースから一本。 白とキャメルブラウンのツートンカラーのそれを、引き抜いた。 迷彩柄のカーゴパンツからジッポーライターを取り出し、ベッド脇に腰を下ろす。 ほんの少し迷って、フィルターの部分を軽く銜え。 いつもなら大差ない動作なのに、この時ばかりは少し緊張を覚えながら。 煙草に、火をつけた。 すう、と吸ってみる。 だが。 「……っ!けほ、ご、ほっ」 煙が変な所に入ったらしく、宗介は盛大にむせ込んだ。 さすがに苦しい。いつも険しく引き締まった目から、涙が滲んでくる。 「けほっ……あいつ、こんなものを……」 愚痴りかけて、天井を見ると。 「……あ……」 天井に、もやがかかっていた。 いや、苦しくて吐き出した煙なのだが。 昼の光を浴びたそれは、不思議な陰影をつけてゆらめいていた。 そう、か。 不本意にも、宗介は納得した。 これは、あいつが見ている光景と同じなのだ。 最近知った、彼の癖。 煙草を吸うたび、ふと天井を見上げる。 その時の横顔が、何故か印象的で。 いつもはおちゃらけてばかりの彼の表情が、心なしか違う次元の人間のそれと重な る。 そしてもう一つ、宗介は思い出す。 優しく抱きしめる、彼の手からかすかに感じる、煙草の匂い。 唇を深く重ねた時に味わう、少し苦みばしった感じ。 ――ああ、あいつなんだ、と。 ふと気が付くと、燻っている煙草は半分くらいまで灰になっていて。 慌てて、宗介は台所に走った。 「……今度来るまでに、灰皿でも買っておくか」 誰にでもなく、呟く。 自分が、あの青年に侵食されていることを、まだ宗介は知らない。 |