突然聞こえてきた声に、麻沙巳はぎょっとなって足を止めた。ゆっくり振り返ってみると、そこには科学者風の男が立っていた。 白髪混じりの髪に、痩せこけた頬。薄汚れてよれよれになったシャツとスラックスを着て、白衣を羽織った初老の男だ。 「……あ……いえ、何でもないですけど」 慌てて、マシンガンを隠しながら答えた。 しかし黒いストラップでばれる事に気が付いていない辺り、やはりお間抜けな奴ではある。 「見るからに何かありそうだが……。確か君は、SD182号と一緒に来たのではなかったかね?」 「……誰ですか、それ?」 聞いた事のない番号に、やや目を丸くした。 だがすぐに表情を引き締め、隠していた(つもりの)マシンガンを男に向けて構える。 「動かないで!撃つからねっ!」 強く言った麻沙巳に、男は慌てて後ずさった。 今までごく普通の学生として暮らしてきた麻沙巳にとって、マシンガンなどの代物を扱うなんて始めてだし、使用法も知らない。 だがここは、はったりでもかまして切り抜けなければならない……それぐらいは、良くわかっていた。 用心してじりじりと追い詰めながら、男を威嚇する。 「質問に答えてもらいます。どうして僕が、ここに来なければならないのかを……」 「ここは……20年前に倒産した、薬品会社の工場跡……。もっとも今は、『TATTOO』の基地となっているがね」 どこかで聞いたことのあるような、名前。 「――あ!」 麻沙巳は思い出した。中学の時、社会の授業で習ったことがある。 その時は、試験範囲にもなったので、よく勉強した覚えもある……が。 ――だけど……。 麻沙巳の頭に、新しい疑問が浮かんだ。自分自身に、どんな関係があるのだろうか? 「君がここにきた理由は、ただ一つ。『TATTOO』の次期総帥として選ばれたのだ。だから、ここに来させた」 「……僕が、『TATTOO』の総帥?」 「そう、この日本を牛耳る我らが組織に、君が君臨するのだ。君の声ひとつで日本のすべて……いや、世界のすべてをも動かせるのだ!素晴らしいと思わないか?」 きょとんとした問いに、男が誇らしい口調で答えた。 「……確かに、僕の声ひとつで世界を動かせるのは凄い事かもしれない……けど」 麻沙巳は男を睨み付けて、はっきりと言い切った。 「僕は、そんなものになるつもりはない!」 「ならば、力ずくでそうさせるまでだ!」 と、男が走り出した。懐から何かを取り出して、麻沙巳に襲いかかってきたのである。 しかし――。 ドオンッ! 「うわああっ!?」 男の足元で、何かが爆発した。範囲はそれほど広くもなく、麻沙巳にまで被害を被ることはなかったが。 ともかく、彼は爆風に煽られ、向かい側の壁に身体を打ち付けていた。 「……?」 何が起こったのか、麻沙巳にはさっぱり理解できなかった。しかしすぐに気を取りなおして近づいてみると、その頭をマシンガンの先で『つんつん』と突っついてみる。 どうやら、気絶しているらしい。倒れている男の手元には、黒い箱のようなものが転がっていた。 「……これ、スタンガン、ってやつだ」 呟いて、麻沙巳はそれを拾い上げた。相手の身体に押し付けてスイッチを入れると、何万ボルトもの電流を流すことの出来るあれである。 いろいろと覗き込んでみると、自分でも簡単に扱えそうだ……という結論に至ったらしい。 ……これ、持って行こうっと。 心の中でそう決めて、スラックスのポケットに突っ込んだ。 この時、麻沙巳は気がついていなかったらしい。 真琴が壁に仕掛けておいた、体温感知式の超小型爆弾によって爆発した、ということは。 通路の中で、警報がけたたましく鳴り出した。どうやら、ここで緊急事態が起こったようである。 逃げ出した事を気づかれたか、あるいは他に侵入者が出たのか。 しかし、それに構っている暇もないし、関わるつもりもさらさらない。 麻沙巳は、ただひたすら機械で埋め尽くされたような通路の中を走っていた。 だが、ずっと走り通しなのである。 プロの長距離ランナーならともかく、麻沙巳は何処にでもいる普通の中学生なのだ。 例え体力や持久力があって、走るのが得意だったとしても、疲労や限界というのは誰にでもあることで。 「ふ……ふええええ……」 とうとう立ち止まって、その場でしゃがみこんでしまった。 ――疲れちゃった……こんな時空を飛べたら、どんなに楽だろうな……。 肩で息をしながら、ありもしないことを考える。 ――とにかく、何としてもここを出なくちゃいけないから……。でも、真琴さんの言ってた『迎え』って、何なんだろ……? バイクだ、ということはわかっている。黒いボディに赤いラインが入った車体――ということは。 しかしそれがいつ迎えに来るのか、というところまでは全くわからないのだ。 そんな麻沙巳に危機が訪れるのは、時間の問題であった。 「――!」 なんと迷彩色のつなぎを着た男たちが、彼の前に立ち塞がってしまったのだ。 「早く、あの部屋に戻りなさい」 リーダー格らしい一人の男が、冷ややかに言った。 怯えているのを悟られないように気を使い、麻沙巳はゆっくりと問いかけてみる。 「……嫌だと言ったら?」 「……殺す。総帥とはいえ、人形でも務まるものだからな」 彼が言ってきた答えは、脅しでも何でもなかった。麻沙巳の頭の中で、直感的な何かが働いている。 『自分が戻らなければ、この男はいとも簡単に実行に移すだろう』。 「さあ、戻りなさい。まだ、若い命を散らしたくはないだろう?」 男が、そう言って近付いてくる。対する麻沙巳の方は、じりじりと後ずさっていた。 と、部下らしい男たちが、麻沙巳の周りを取り囲んだ。彼の行動に対して、リーダー格の男が無言で左手を上げたらしい。 「……戻りなさい。さあ」 差し伸べてくる男の手を、麻沙巳は青ざめた表情で見ていた。 ――もう、父さんたちに会えないの……? そんな絶望的な考えが、頭の中をよぎる。 ――僕は、ここにいたくないのに……! 心の中で叫んだ、その時。 どこからともなく、音が聞こえているのに気がついた。 「……何だ?」 「何か、音がします」 その音は、徐々に大きくなっていく。やがてそれは、バイクのエンジンが唸る音だと誰もが理解できるほどになった。 「あらよっとおっ!」 ウォアアアッ! 前輪を浮かせるウィリー状態で、バイクがその姿を現した。駆っているのは、黒地に赤のラインが入ったレーシングスーツにフルフェイスの黒いヘルメットを被った人物である。 しかし、ただ一人。 麻沙巳だけは、見逃しはしなかった。 黒いボディに、赤いラインの入ったバイク。 間違いない。 真琴が書き残した『迎え』とは、この人物のことなのだ。 『だんっ!』 バイクが着地した。片足でバランスをとった人物は、強い口調で麻沙巳に叫んできた。 「走れっ!後は、俺に任せろ!」 その声に表情を引き締めて、麻沙巳はマシンガンを構えた。。 「うわあああっっ!!」 目の前の男たちがひるんだ隙をついて、一気に走り抜ける。 『後は、俺に任せろ!』 バイクの人物が叫んだ、言葉を信じて。 さて。 全速力で走って、その場を切り抜けた麻沙巳は。 数分後には先ほどと同じように壁にもたれ、荒い呼吸を繰り返しながらへたり込んでいた。 ――もう、走る気にもなれない……。疲れちゃったよ……。 両足を投げ出してしゃがみ込んだ麻沙巳の姿は、あまりにも無防備なものだった。 また、いつ男たちに追いかけられる状況にも関わらず、彼の前にやってきたのは。 幸いなことに、先ほどやってきた黒いバイクだった。 「……っと、待たせたな」 乗っている人物は、そう言ってフルフェイスのヘルメットを脱いだ。 「……早かったですね…。もう、これ以上走れないです……」 「泣き言は後にするんだな。さっさとここを出なきゃならない。それに、お前だって早く帰りたいだろ」 力なく呟いた麻沙巳に、きつい事を言ってのける。 その割に少し優しい表情をしたこの人物――いや、少年――は。自分よりも暗い栗色の髪に、刃物のような切れ長の目。 その中にはめこまれた瞳には、強い輝きを放っていた。 「立てるか、ほら」 手を伸ばしてきた彼に、麻沙巳はふらふらしながら立ちあがった。 その状態に。 「もしかして……」 急に心配そうな顔をして、詰め寄ってきた。 「お前……あいつに何かされたのか?」 「何をって……何をですか?」 やたらと珍妙な問いに、麻沙巳も気になって尋ねてみた。 すると。 「……」 何故か少年は、決まりが悪そうに鼻の頭を掻いていた。 約数秒、沈黙が訪れる。 「……とりあえず!ここから脱出するぞっ」 「はいっ」 握り拳を作って、あさっての方向をみた少年に、麻沙巳は明るい声で答えた。 振り返って軽く笑うと、少年は軽い動作でヘルメットを放り投げた。 「そいつ、かぶっときな」 一言命じて、彼はバイクに跨る。エンジンキーを回すと、低い唸りを上げてエンジンが震え出した。 「……さてと」 軽く、ハンドルを握って呟く少年に。 「乗りました」 タンデムシートに跨り、麻沙巳は小さく声をかけた。 彼の着ているライダースーツに、茶色の小さな染みがあるのはこの際どうでもいい。 「よし……しっかり捕まってろよ。――飛ばすぜ!」 少年の言葉と共に、バイクが唸りを上げて走り出した。しがみついたままの麻沙巳を連れて、一路秘密基地の出口へと向かっていく。 そんな二人に、先ほど取り囲まれた男たちが待ち構えていた。 ……目の前に立ちはだかった、人間たちに。 「おらおらああっっ!どきやがれええっっ!!」 怒鳴る少年の声と共に、とんでもないスピードで突っ込んでいった! 「おわああああっっ!!」 それに慌てふためいて、男たちはバイクの暴走から逃れるために、散り散りになって走り出した。 ――何か、変な人について行っちゃったなあ……。 この少年のバイクに乗った事を、麻沙巳はこっそり後悔した……。 一方。 いつの間にか忘れられた青年、崎原真琴はといえば。 「……あーあ。ちょいと仕掛けすぎたかな。もったいねーからって、爆弾の量ケチるもんじゃねえな……」 どうやら、自分の逃げ道を見失ってしまったようである。 教訓。無計画は墓穴のもと。 「……ま。あいつらの出口は確保してるから……それに俺には、こいつもあるし」 いささか無責任な発言だが、その間にもジャケットから携帯電話を取り出していた。 「……おーい、俺。ルート説明するわ」 電話を掛けながら液晶コンピューターを取り出し、器用に操作をはじめる。 「今、どのへん?……わかった。えーと通路をまっすぐ行って、二つ目の角を右に折れて……出たところを5〜600Mほど走ったら裏口に出る。出たら、すぐが国道沿いになってっから、左に折れてまっすぐ行ったら志倉市に入る。……おう、了解」 電話を切ったあとも、真琴はコンピューターを操作している。 「えーと……あ、そうか。こっちに行けばあそこに出るんだな……。上等上等」 電源を切ってジャケットにしまうと、さっそく走り出した。 しかし。 それから、約数分後。 「……貴様だな」 真琴はその声を聞いて、足を止めた。彼の目の前に、一人の人間が立っていたのだ。 「――確か……」 彼は、麻沙巳を独房から連れ出した青年だった。 「今度は、俺に用でもあるわけ?」 ひょうひょうとした口調で尋ねる真琴に。 「我等が総帥に、変な事を吹き込んだのは貴様ということぐらいわかっている。とぼけていても無駄だ」 低く言ったその口調には、殺気が含んでいるのがよくわかった。 「――総帥、ねえ。俺には関係のないことだろ。誰がそんな奴と……」 「我々以外で総帥に接触したのは、黄様だけだ。違うかね?」 肩をすくめた真琴の言葉をさえぎって、青年はやけにあっさりと返してきた。 彼の言葉で、『総帥』と呼ばれている人物が誰なのか、瞬時に理解できた。 そして、これから自分に降りかかってくるであろう危機も。 「探偵風情がうろついていた上に、総統に下らないことを吹き込んだ。それだけで、貴様の運命は決まった」 言って、青年は薄い笑みを浮かべる。 「俺、まだ死にたくないから見逃してくれない――」 軽い口調の真琴の言葉が終わらないうちに、突然閃光が迫ってきた! 「うわっとっ!?」 とっさに身体をひねったので何とか閃光を浴びることはなかったが、真琴は頬に小さな痛みがあるのに気が付いた。 うっすらと、小さな赤い線が走っている。先ほどの閃光が、わずかに頬を掠めたようだ。 目の前の青年は、人差し指をつきつけたまま笑みを浮かべている。 「――ほう?私の『ライフビーム』を避けられたとは……運がいいな。だが、二度目はないと思え」 そんな彼の顔からは、少し生気が失せている。 瞬時に状況が理解できた真琴は、すでに次の対策を決めていた。 「悪いけどな。顔の傷の落とし前、次につけさせてもらうぜ」 不敵な笑みを浮かべた瞬間、真琴は青年の前から姿を消した。 「――何っ!?」 と、青年は不自然な重みを感じた――と思った。 ほんの一瞬の間をおいて、靴音が通路の中で響く。 なんと、青年の前にいたはずの真琴が、いつの間にか『背後』に移動しているのだ! 「……おのれっ!」 険しい顔で真琴に人差し指を向けた――その瞬間。 青年は突如、左胸を押さえてうずくまってしまった。 真琴は、どういう事か、わかっていた。 青年が使った『ライフビーム』というのは、使用者の生命力を一種の粒子エネルギーに変換して対象に放つ。文字通り、『生命を利用したエネルギー砲』といったところである。 真琴の頬が切れたのは、この能力によるものだ。 しかし、これには致命的な欠点がある。使用頻度が多いと、生命力が極端に減少する。最悪の場合、命を落とすことだってあるのだ。 今の青年の状態をみれば、かなりの生命力を消耗している事は明らかだ。 真琴はそれに目もくれず、出口に向かって走り出した。 かくして。 爆発音と人々の叫ぶ声が響く中、真琴はまんまと脱出に成功したのである。 さらに、時間が経過して。 真琴は何故か、雑草の生い茂る私有地の中にいた。きょろきょろ見まわして、何かを探しているようである。 「えーと……確かここらへんに隠したはずなんだけど……」 しばらくして、真琴の瞳が輝いた。どうやら、目的の物を見つけたようである。 それは、迷彩柄のビニールシートだったが、よく見れば妙に不自然な盛りあがり方をしている。 「みっけたぜ、俺の車ちゃん♪」 うきうきした声で言いながら、ビニールシートを取り上げると。 中から現れたのは、現在流行しているスポーツタイプの乗用車だった。ダークブルーの色調が、いかにも真琴らしい。 ジャケットから取り出したキーでトランクを開けると、ビニールシートをぐしゃぐしゃに丸めて詰め込む。 そのまま運転席に回ってドアを開け、少ない動作で乗り込んだ。 キーを差し込んでから、タコメーターの下にあるコンソールパネルの一角に指を乗せると。 『指紋照合……確認。一致しました。すべてのロックを解除します』 という、コンピューター合成の女性の声がアナウンスした。 「さあ……て、行くとしますか」 にんまりと笑ってサイドブレーキを外し、ギアを操作する。アクセルを踏んで、車をゆっくりと発進させた。 慎重に、さりげなく装いながら車道に入る。 真琴を乗せた車は、何事もなかったかのように走り去っていってしまった。 一方。 真琴と対峙した青年は、未だに左胸を押さえていた。 「……大丈夫か、SD182号」 そんな彼に、白衣を着た中年の男が声を掛けてきた。 「はい……ですが、申し訳ありません……。脱走者を逃しました…」 悔しそうに報告すると、彼は大きく息を吐く。 やがて痛みが薄らいできたのか、ゆっくりと立ちあがって近くの壁に身体を預ける。 「延命処置を受けていれば、このくらいの痛みは……。奴だって、殺せるはずだった……」 「わかった、処置をしよう。歩けるか?」 彼が小さく頷くと、男は肩を担いで歩けるように支える。 何とか立っていられるものの、息はまだ荒いままだ。 「しかし……次こそは必ず……」 真琴が去っていった通路を恨めしそうに見つめてから、処置を受けるために男と歩き出した。 さて、少年と麻沙巳を乗せたバイクは、いまだ国道の中を走っていた。 前方には、自動販売機の列が見える。 そこで何を思ったのか、少年はバイクの速度を落とし。 「さて。ここらで、ちょっと休憩しようか」 自販機の前で停車してそんな事をのたまったものだから、麻沙巳は驚いて彼を見た。 「何だよ、そんな顔をして……あ。 そうか、お前俺のこと疑ってるんだな」 被っていたヘルメットを脱ぎ、小さく頷いた。 「心配しなさんな。少なくとも、俺はあそこの人間じゃねえ。いちおう、真琴の知り合い」 「でも、真琴さんの知り合いって証拠、どこにもないじゃないですか」 むっとして、まくしたてる。麻沙巳が真琴から手渡された手紙の迎え――黒いバイク――ぐらいしか情報がないという理由もあるのだが。 少年は、小さく笑って。 「つまりだ。真琴との関係が分かれば、信じてくれるってことだろ?」 と、あっさり言ってのけられ、麻沙巳は結局口をつぐんでしまった。 バイクを下りた所で、少年は改まって麻沙巳を見る。 「俺の名前は、風原雅樹。真琴とは前から知り合いでな、今はあいつの探偵事務所の 手伝いをやってる」 「真琴さんの……手伝い?」 「俗にいう助手って奴さ。わかったか?」 威圧感を与えていない口調に、麻沙巳はこくこくと頷いた。 「じゃ、休憩でもするか。……そういや俺、お前の名前聞いてなかったな」 風原雅樹――自分をそう名乗った少年は、ちらりと麻沙巳を見る。 「あ」 慌てて自分の名前を名乗ると、雅樹はにっと笑って。 「OK。じゃあ麻沙巳……だっけか。ちょっと待ってろよ」 自販機に足を向ける彼を見て、麻沙巳は改めて確信した。 彼は――雅樹は、自分の敵ではないのだと。 「ほい。熱いから気をつけろよ」 ふと彼の手元を見ると、細長い缶を二つ持っていた。 「……えーと……いいんですか?」 「いいんだよ。おごっちゃる」 カフェオレの缶を受け取ると、麻沙巳は小さく礼を言ってプルタブを引き上げる。 「……ふう。久々に走ったな。こいつで」 「久々に……って、あのバイクでですか?」 彼の言葉に、麻沙巳は停車してあるバイクを見やった。 「ああ。いつもは真琴の車で移動しているからな。今回は別行動って事になってたから、バイクを出しただけ」 「……ね、雅樹さん。一つ聞いていいですか?」 「ん?」 そっけない態度で振り返った雅樹に。 「あのバイク、大丈夫なんですか?何だか、鍵が掛かってないみたいですけど……」 「ああ、あれか?ハンドルの所に、指紋の照合をする機能がつけてあるんでな。他の誰かが握りゃ、五万から十万ボルトの電流が流れる仕組みになってるんだ。まあ、例えそれが効かないとしても、俺以外には乗りこなせないようなチューンをしてあるからな。結構平気だぜ」 「はあ……」 麻沙巳は、脱出の時にやらかした雅樹の操縦を思い出した。確かに、生半可な腕ではあのバイクを乗 りこなす事は不可能であろう。 「――あ、そうだ。お前、奴らから何か持っていってないか?」 「え?えーと、マシンガンはもう捨てちゃったから……」 思い出したように聞いてきた雅樹に、麻沙巳はポケットからスタンガンを取り出した。 「じゃ、それ」 何がなんだか分からないまま、彼に手渡す。 「これは――こうするっと!」 雅樹は何を思ったか、思いきり振りかぶると勢いよく川原に投げつけたのだ。 「あーっ!!」 麻沙巳の叫びも空しく、まばゆい電光を何度か瞬かせて。 しまいには、ぷくぷくと泡を立てて沈んでいった。 「何をするんですかっ!?」 「いや、もしもあれに発信機とかつけられてたとしたら、いつかは俺たちの居場所が割れるだろうと思ってさ。それはそれでやばいんで、こうした方が安全なんだよ」 つっかかった麻沙巳に、雅樹はやたらと冷静に説明した。 「……そうなんですか。大変なんですね、探偵のお仕事って」 もう何も見えない川原を眺めつつ、麻沙巳は缶のカフェオレを一口。 「……でも」 「?」 ふいに小さく呟いた言葉に、雅樹はちらりと見やる。 「もったいない気も、するんですけどねえ」 ごん。 あまりにもピントのずれた言葉に、雅樹は自販機に頭を打ちつけたのだった……。 さて、そんな事もあったりして。 十五分ほどの休憩が済むと、二人はもう一度バイクに乗り込んだ。しばらく走っているうちに『志倉市』 の標識が見えてきて、街に戻ってきた事を実感させる。 その志倉市内の静かな住宅街に入り、二人を乗せたバイクは一角にあるマンションの敷地に到着した。 というのも。 「まずは、お前の両親に無事を知らせないとな」 雅樹の提案で、彼の自宅に向かっていたわけである。 エレベーターで三階まで上がり、すぐ傍の部屋に立ち止まってドアを開ける。 ほどなくして。 「……お、お帰り。遅かったじゃねーか」 ドアの開く音に気付いたのか、奥から出てきたのは崎原真琴であった。 「真琴の方は、ずいぶんと早かったんだな」 「まあね。……麻沙巳の方も、無事に逃げられたみたいだな」 ニヒルな口調の雅樹に軽く笑って返し、真琴は麻沙巳の方に手を振る。 「真琴さん!……って、どうしたんですか、それ」 その顔を見て明るい表情になったが、ある異変に気が付いた。 真琴の右の頬には、見なれない小さな傷があった。 「……ああ、これか。ちょっとドジをやらかしただけで、別になんともねーよ。舐めとけば治るしな、これくらい」 それにさらりと答え、真琴は軽くウィンクをしてみせる。 「ほれほれ。再会の挨拶はそれくらいにして、麻沙巳に連絡させてやれよ」 そこで割って入ってきた雅樹の言葉に頷いて、Gジャンから携帯電話を取り出した。 「麻沙巳。家に連絡しな。俺の携帯使えばいい」 それを受け取り、自宅の電話番号を押した。 そばらくして。 「……芦原でございますが……」 と、妙に緊張感の漂う女性の声が返ってきた。 「母さん?どうかしたの?」 「麻沙巳……麻沙巳なのね?よかったわ、あなたに何かあったら私……どうしたらいいか……」 「……あのね、母さん?」 「早く……早く帰ってきてね!ううっ……」 がちゃん。つー。つー。つー。 「麻沙巳、どうしたんだ?」 麻沙巳の表情を見て不審に思ったのか、真琴が小さく声を掛けた。 「……あの……僕の母が出たんですけど……何か、勘違いしているみたいなんです……」 約数秒の沈黙の後。 「……はい?」 真琴と雅樹は、同時に間抜けな声を出していた。 「……どうしたらいいと思います?」 「そりゃ……もう一度掛けてみるしかないだろ」 雅樹の提案に頷いて、麻沙巳は携帯電話のリダイヤルボタンを押す。そしてもう一度、誰かが出てくるのを待った。 「……もしもし?」 「麻沙巳……麻沙巳ね!?ああ、お願い。お金なら幾らでも出すって言って!」 「あの……母さん。僕、ちゃんと無事だから。……そうだ。ちょっと待ってね」 相手先の母親に言ってから真琴の方を向き、申し訳なさそうに携帯電話を差し出した。 「?」 「すいません……事情、説明して下さい……」 その態度に仕方ないと思ったようだ。真琴は電話を受け取り、さっそく話を切り出していた。 「……あの、もしもし。どうも、崎原探偵事務所の崎原と申しますけど。……あ、お母さんですね、ちょっと、落ちついて聞いて下さいね」 やたらと緊張しまくっているらしい母親に、事情を説明している真琴を見て。 「ま、あいつなら大丈夫だろ」 と、落ちついた口調で雅樹が呟く。 そんな中でも、真琴の説明は続いていた。 「ですから、心配はいりませんから……。ええ、本人は至って元気です。……まあ、もしかしたら少し疲れていると思いますから、すぐに送らせて……え?あ、そうなんですか」 彼は、麻沙巳の方を向いて。 「麻沙巳、お袋さんが何か言いたいんだってさ」 その言葉に電話を受け取り、麻沙巳は母親に向かって念を押すように話しだした。 「……母さん、落ち付いた?」 「……ええ、大丈夫よ。麻沙巳も今日は、そちらに泊まらせて頂きなさい」 「え、何で?すぐにでも帰れるけど」 「麻沙巳も、色々ありすぎて疲れたと思うの。だから、崎原さんのお宅で休ませて頂きなさい。そうしたら、母さんたちも落ちついてあなたを迎えられると思うから……」 「ん……そうかな。それじゃ、申し訳ないけど……」 言いながら真琴の方を見てみると、『OK』の意味を込めて指で丸を作っていた。 「……母さん?うん、とりあえず、今日は止まらせてもらえるみたいだから」 「……ええ、わかったわ」 「帰るとき、また電話するから。じゃ」 電話を切って、麻沙巳は真琴に深く頭を下げた。 「……すいません。僕の母って、凄い心配性なんです」 「あー、世の中の母親ってのはそんなもんさ。という訳で、今日の所は麻沙巳がお泊りって事で」 真琴は雅樹の方を向いて、にんまりと笑い。 「雅樹、コーヒー淹れて(はあと)」 「てめーでやれいっ!」 雅樹の怒鳴る声が部屋に響いたのは、いうまでもない。 |