賑やかな繁華街の交差点の隅で、ちょこんと開かれた小さな卓が一つ。 その卓に座っているのは、今時の若者だった。 薄手のジャケットを羽織り、薄茶色のシャツとベージュのチノパン姿。 今日もいつもの場所で卓を開いて、来るかどうかも分からない客を待っているようだ。 しばらくして、一組のカップルが近づいてきた。揃って派手な格好をしているが、彼はさして気にもとめない。 「何か、お悩みごとでも?」 やってきたカップルにゆっくりした口調で尋ね、彼は微笑み掛けた。髪と大きな瞳は黒、穏やかな風貌 を漂わせる端正な顔立ちから、二十歳そこそこの年齢だろうか。 問いかけに促され、やがて女の方が口を開いた。 彼女の話はこうだ。今の男と交際しているが、そろそろ結婚を考えている。それに対して、何かアドバイスはないか、というものだった。 ――俺は、結婚相談員か? 心の中で呟いたが、その言葉は決して表には出さなかった。 この界隈で卓を出すことにした時、テリトリーとしていた同業の先輩が教えてくれたことだ。 「分かりました。それでは、占ってみましょうか」 大きく頷いて、彼は懐から白い包みを取り出した。 包みを開くと、不思議な図柄を描いたタロットカードが一組。彼はこのカードを使って、占いを行う。 普段から肌身離さず持ち歩いているらしいカードは、本屋だとか占いの専門店で取り扱っているようなありふれたものではない。 モノクロで描かれたそれは、何処か不思議な神秘性を醸し出していた。 「では、このカードを混ぜて下さい。……そうですね、そちらの彼もご一緒に」 にこやかに言って促すと、男は渋々参加した。 その間、精神を集中し、全ての神経を耳に注ぎ込む。 間髪いれずに、声にならない声が脳裏に響いてきた。 カードを混ぜさせている間、彼は客の心を読んでいた。超能力の一種――テレパシーという奴だ。 傍から見ればインチキかもしれないが、大して気付かれることもない。彼は客の心の声とカードを参考にして、独自の語りを形作るのがスタイルなのだ。 『本当に結婚できるのかしら?この人を信じたいけれど……』 『あー、めんどくせえ。こんな馬鹿女捨てて、もっと金持ち捕まえた方が……』 彼の脳裏に響いて来るのは、誰にも聞こえない心の声。 ――最低だな、この男。 忌々しげに思う。つまりこの男はうわべだけで近付いてきて、うまみを存分に吸い尽くしてから横の女を捨てるつもりでいるようだ。 この仕事をやっていると、いつも人間不信になりそうだ、と思う。もっとも得意な分野はこの占いくらいしかないので、嫌でも頼らざるを得ないのが現状だが。 「……はい、いいですよ。さて、お二人のことを見てみましょうか」 手を引っ込めさせてから伏せたままのカードを丁寧にまとめ、決められた場所にカードを並べ始めた。 十字を作るように五枚、中央のカードに重ねるように一枚。それからサイドに四枚、上から縦に何枚かおきに並べていく。 これは『ケルト十字』と呼ばれている並べ方で、彼はこれを好んで使っていた。相手のことを、かなり詳しく占うことが出来るからだ。 一枚一枚をゆっくりとめくりながら、詠うような口調で説明をする。女の現在、男の現在、不安等を次々と語るうちに、二人の表情がにわかに引き締まっていく。 ――そろそろかな。 彼はちらりと表情を盗み見て、つい、とカードから手を離した。 「そちらの男性には、金銭的な不安があるのでしょうか?」 「え」 胸の前で手を組んで尋ねてみると、男は間抜けな声を出した。 めくられた『愚者』のカードを指先で軽く突つき、柔らかい口調で続ける。 「このカードの『旅人』をイメージしています。ただ、貴方の現在を示す位置にあるものですから、ちゃんとした職に就かず、アルバイトなどでその日暮らしの状態ではないでしょうか」 男の表情が一変した。困惑したような顔つきに、 ――やっぱりな。 とだけ、思うことにする。 「今の自分では、彼女を幸せにすることもできないと感じているのではないでしょうか。もしかしたら自分は迷惑だから、彼女と別れた方がいいのではないか、と感じているのではないでしょうか。そのあと、経済的に余裕のある女性と付き合った方がいい――とか」 遠回しに言ったつもりだが、予想以上のダメージを男に与えてしまったようだ。女の方は怪訝な顔で傍らを見ているし、これはまずいと直感した。 「まあ、それはさておき」 彼は咳払いを一つした。別に男を凝らしめるだけなら簡単だが、この手の相談は巧くフォローを入れなければならない。 「今の貴方は、女性に頼りきりの状態になっているようですね。それでは、自分自身が小さい存在になってしまうばかりです。ちゃんとした、じっくりと取り組める仕事を探しなさい。そうすれば自ずと物事に対する見方も変わるし、女性が見る貴方の姿も変わっていくはずです」 「は、はあ」 肩を落として頷く男に、彼は小さく笑みを浮かべた。 「女性の方も、もう少し彼を頼ってみてはいかがでしょうか。今の状態は心配だからと頑張って働いているようですが、それでは男性を甘やかす結果ともなります」 「はい」 続いて、女の方に微笑みかける。彼女は、はっきりと頷いた。 「もしも、また何か悩みを抱えることがあるなら、いつでもおいでなさい。僕は、毎日ここで座っていますから」 そう締めくくって清算をする。二人は、彼に礼を言ってその場を立ち去った。 これで、少しは男のほうに灸を据えられたようだ。もしそれが無駄骨で別れてしまったとしても、彼女の方はこれ以上の損害を増やさなくて済む。 だが。 「――やっぱ、もう少し念を押しとくかな」 小さく呟いて、意識を集中。遠ざかっていく男に狙いを定め、その脳裏に浮かんだ言葉をそのまま送りつける。 ――そうそう、別れて新しい女を探そうっても、無駄な努力だからやめときな?彼女を手放したら、その後の運勢は最悪って出てたぜ。 「ひいっ!?」 突然頭を抱えてしゃがみ込んだ男を眺めて、彼はおかしそうに笑みを浮かべた。 今日の成果はまずまず。やはり、昼から座って正解だった。 それだけではない。彼の占いは、口コミで少しずつ広がっていた。その証拠に、近所の占いハウスの責任者と名乗る男が『うちで働かないか』と持ちかけてきたのだ。 つまり、それだけ稼ぐ可能性が出てきた、ということだろう。 「さてと」 カードを元通りに包んで懐にしまい、卓を畳もうとした彼に。 「また、あこぎな商売して!」 と、怒鳴る声が飛んで来た。 しかし彼は大して気に障るわけでもなく、顔を上げてにこりと微笑むと。 「やあ、早妃。来たの?」 目の前の声の主に、そう言った。 「どうしてお兄ちゃんは、こんなことを始めたのかしら。わかんないわ」 「そう言わないで。今日だって、ちゃんと稼いできたんだから」 「よく言うわよ」 「うーん、辛いなあ」 彼――高木神矢とその妹、早妃は、家までの道を歩いていた。 「そりゃ、今お兄ちゃんが働いたら、市からの援助が切られちゃうから、大きなことは言えないけどさ。何だって占い師なんて始めたわけ?わかんないよ」 「いやあ、俺、これしか取り柄がないから」 この二人の兄妹は、民間の孤児院を経営している。先だった両親が遺した、かけがえのない財産だ。 今の所経営者は神矢になっているが、当の本人は経営の一切を大学生の早妃に任せている。その代わりに、足りない資金を占いで稼いでいるのが現状だ。 「――お兄ちゃん、変わったわ。記憶無くしてから」 ぽつりと言った早妃の言葉に、神矢はいたたまれない気持ちになった。 何故なら、彼は早妃の兄ではない。戸籍上は兄妹だが、本当の兄はあの組織での過酷な実験に耐えきれずに命を落としている。 組織は、クローンとして作られていた彼に目をつけ、実験に着手した。 数少ない成功例となったが、偶然入った一室に嫌悪を感じた。 失敗作と称した巨大なガラスケースの中に、彼はいた。 人の形すら判別出来ないほど、ぐずぐずに崩れ落ちた肉体。そのケースの前にあるプレートには、生前の頃の写真や名前、実験の経緯などが詳細に記されている。 このままでは、殺されてしまう。 そう思って、自分の能力を開放した。 特殊な超音波を放つ妨害波が彼の意識を阻んだが、潜在的な能力が僅かに勝ったのだろう。何とか、施設から脱出することに成功した。 脱出した先の海辺で気を失って、気が付いたら。 心配そうな表情で、こちらを見る少女の姿があった。 『お兄ちゃん?お兄ちゃんだよね?』 今にも泣き出してしまいそうな、彼女の顔。 彼は、今でもよく覚えている。 「ねえ、お兄ちゃん――お兄ちゃん?」 「えっ!?あ、何?」 さっきからずっと呼んでいたらしい。いらついたような早妃の声に、神矢は慌てて微笑んでみせる。 「――もう!そんなに自分のことが心配なら、過去を占いで調べればいいじゃない」 また身もフタもないことを早妃に言われ、つい苦笑いを浮かべてしまう。 「うーん。前にも占ってみたんだけど、わからないって」 「ほら、結局宛てになんないじゃない」 当てずっぽうなことを言ってみると、小さく息を吐いて不満そうな声を上げた。 いや、わからなくて当然なのだ。オリジナルの記憶を、そのまま移植されている訳ではないのだから。 「――でも占いっていうのは、過去だけを見る為だけのものじゃないんだ。過去と現在の状況を参考にして、未来を良くする為の手段なんだよ」 「そこなのよ」 びしりと人差し指を突き付けられた。 「そういう他力本願の考え方が一番嫌いなの、あたし。 ――でも、いいよね。お兄ちゃんは、こうやって戻ってきてくれてんだもの」 厳しい口調が最後には優しくなって、早妃は微笑んだ。 その微笑みの為に、今自分がここにいるのだ。 「さ、ごはんごはん。冷めちゃったから、レンジであっため直すよ」 「うん。ありがとう」 家である孤児院の近くまで来たところで走り出した早妃を見送り、神矢は。 「……君が……」 「何?お兄ちゃん」 「ん?」 どうやら、独り言が聞こえてしまったらしい。 「――俺さ、悔しいんだ。せっかく早妃が作ってくれても、ご飯の味が分からないんだから」 代わりに、思いついた言葉を言った。あの忌まわしい実験の影響で、彼は味覚が欠如しているのだ。 早妃はそんな神矢に、けらけらと笑った。 「それでも、お兄ちゃんが食べてくれるんだもの。あたしはそれが嬉しいのよ」 その言葉に、胸が締め付けられる気持ちだった。 ――俺は、君の本当のお兄さんじゃない。 心の内で呟いたのは、彼が言ってはいけない言葉。 ――だから、君を守るよ。 ――もう一つは、誓いの言葉。 実験動物として生きることを強いられ、人として死ぬことの出来なかった、彼女の兄の分まで。 神矢は、気がついていた。 これは、自分でいられる為の戦いなのだと。 |