『へヴィースモーカー』




「こら、そこの未成年」
「俺、未成年じゃねーもん」
 薄暗い部屋の中で灯る、自分のものと別の赤い光に気がついて。
 苦い顔で呟くと、横で寝そべる玖珂光太郎はわざとらしく紫煙を吐き出し、ぺろりと小さく舌を出した。
 彼がこのマンションに住みついて、もう何年になるだろうか。
 成り行きのままに立ち上げた『H&K探偵事務所』での、共同経営者兼探偵の弟子として、ずっと自分のそばで走っている。
 30の手前で初めて出会って以来、その姿勢は少しも変わってはいない。
「……あれ、お前まだ19じゃなかったっけ」
「こないだ誕生日来た。今二十歳」
「二十歳。お前が」
「おかげさまでなりました」
 ……まだ十代に見えないこともないのだが。
 言葉は言わず、飲み込むことにする。
 彼の煙草を吸う様は、どうも様になっているのが恐ろしい。
 本当は十代から吸っていたのではないか。そんな疑問さえもたげてくる。
「そうか、お前が二十歳か」
「おうよ」
「てことは、俺もう34か」
「そうそう。もうおっさんと認めざるをえないくらい」
「ええ、どうせ俺はおっさんですよ」
「お兄さんって年じゃねーだろ。もう」
 すねた調子で言って煙草に火をつけると、光太郎が横で小さく笑った。
 14も年が離れていると、こうもショックが大きくなるものなのか。
 自分が二十歳の頃はどんなだったか……思い出そうとしたが、やめた。


 それにしても。
 あれから、随分と吹っ切れた気がする。
 とにかく毎日が忙しくて、横の馬鹿のフォローに回って。
 少しずつ、あの日の記憶が薄れていくのが怖いと感じた時もある。
「おっさんが二十歳の頃って、どんなだった?」
 ふと尋ねてきた声に、ちらりと横を見やる。
「忘れた。それに、思い出したくない」
「なんで」
「思い出す気にもなれん」
「ふうん」
 それきり黙りこむと、光太郎は短くなった煙草を灰皿の中に押し付ける。
 すこし沈黙。
 やがて、こちらを見て。
「おっさんの吸ってるの、一本くんない?」
「あ?持ってるだろ。お前」
「どんな味か吸ってみたいんだよ」
 キスする時とか、ちっともわからねーんだもん。
 軽い口調で続けて、咥えていた煙草をひょいと指先でつまんで奪い取った。
「あ」
 あっけに取られる日向をよそにその煙草を深く吸い、やがて顔をしかめる。
「まっず。何でこんなまずいの吸ってるんだよ」
「悪かったな」
 一言で言い捨てて、奪われた吸いかけの煙草を取り返した。
 吸い口を咥えて、ゆっくりと吸いこむ。袷得門の味が分かるには、彼にはまだ早すぎるのだ。
「変えたら?俺の、まだ味悪くねえし」
「お前のにか?」
 いぶかしげに言って、灰皿の傍に置いてあるラッキーストライクの箱を見る。
 気分転換に、それもいいかもしれない。だが。
「お断りだ。俺には拘りがあるんだ」
「あっそ」
 光太郎は小さく舌打ちして、新しい煙草を一本取り出そうとして……その手が止まった。
「なあ、おっさん。もう一回付き合える?」
 不意に聞いてきた言葉に目を丸くする。さっきまで、散々彼に付き合ったというのに。
「元気だねえ、お前」
「そうさ、若いもん。まだ」
 にやりと笑い、彼は日向の咥えていた煙草を取り上げて、唇を近づけてくる。
 一瞬の間を置いて、二人の唇が軽く重なった。
 交わす接吻が深くなり、どちらからともなく舌を絡ませ、光太郎が日向の上にのしかかってくる。
 随分と長く重なっていた唇が離れて、意外そうに口を開いた。
「……お前、軽いな。身長の割に」
「どんなに食っても、ろくに増えねーんだよ。体重」
「ふむ。60……もないな」
「そんくらいはあるけどさ。少なくともあと三キロは欲しいや」
 困ったように言って、彼は笑った。先ほどの煙草は、いつの間にやら灰皿の中で燻って細い紫煙を揺らめかせている。
 五年もの間に、光太郎も随分背が伸びた。
 もしかしたら、自分を追い越しているのかもしれない。
「今幾つだ」
「180もないんじゃねえ?中学んときに一気に伸びたから、そこから先が全然」
「俺を越してるもんだと思ってたがな」
「だとしたら、俺が上になった方がいい?」
「それは勘弁してくれ」
 無粋な言い合いに、二人でのどを鳴らして笑う。


「とゆーわけでさ。もっかいやろ、おっさん」
「結局やるのか」
「どうせ何も着てねーから、ちょうどいいだろ?」
 光太郎は、不敵な笑みを浮かべた。
「煙草もいいけど、やっぱもっと大きいの咥えたほうがいい」
 挑発するような際どい台詞に、日向は少し苦笑する。
「俺は燻ったままだ。火をつけるには苦労するぞ?」
「知ったことか」
 こちらも負けじと焚きつけてやると、彼はさらりと切り返した。
 いい目をしている、と思った。そうでなければ、五年も引きずる価値がない。
 たぶん、この関係はまだ続くだろう。
 愛し合っているわけでもない。かといって、ただお互いの欲求不満を解消するためだけの関係でもない。
 ないと生きていけないという訳ではないが、ある方がすっとマシだ。

「じゃ、お前に頑張って貰うとするか」
「うわ、手抜き」
「だったら、俺を本気にさせてみせろよ」
「……やってやろうじゃん?」

 ただ、横にいるから。
 傍にいたほうが、安心できるから。
 まるで、煙草みたいだな。
 降りてくる光太郎の肌に唇を寄せながら、日向は心の中で呟いた。