電子狂に捧ぐ詩−プロローグ−


プロローグ

『エマージェンシー、エマージェンシー!』
 ばたばたと走り回る人間たち。
 コンピューターで合成された女性の声は、そこにいる人間たちの 危機感を煽っていた。
 その一室に、二人。取り残された女性たちがいた。
 一人は頭部から血を流し、もう一人は足に異常がでたのか動けな い。
 「……これまでね、主任」
 骨折でもしたのだろう、脚を押さえたまま座り込んでいる初老の女 性が静かに告げた。
 「ええ……。でも、その前に……これだけはしなくちゃ……」
 もう一人は、まだ16にも満たない少女。血で霞む目を必死にこらし て、手元はキーボードを叩いている。
 映し出されたディスプレイを見やり、初老の女性が呟いた。
 「……あれを、封印するのね」
 「ええ」
 二人の声は、何故か驚くほど落ち着いていた。
 もうすぐそこまで、『死』が訪れてきているというのに。
 ややあって、少女が静かな口調で告げた。
 「封印プログラム……作動したわ……」
 その言葉に、女性が満足そうに頷いた。
 「……ねえ、主任。確か……彼とは3年後に結婚するって……」
 女性が言ったふとした言葉に、少女は血まみれの顔で困ったよう に微笑んだ。
 「……約束、破っちゃった……。怒るわね……きっと……」
 直後。
 大きな爆発音が、二人の会話をかき消してしまった――。


 緊急避難した人間たちは、大きな爆発を繰り返しながら燃えていく 建物を、ただぼんやりと見ていた。
 その中で。
 「離せ……離してくれ!!」
 「はなせっ!はなせよおっっ!!」
 二人の少年が、大人たちに羽交い締めにされていた。
 「だめだ!もう、この状態じゃ助からない……君たちまで死ぬ気 か!?」
 「そんな事はどうだっていい!あそこには、まだあいつが残ってい るんだ!」
 その一人の少年のあまりの取り乱しように、大人たちは驚いてい た。いつもの彼には、『冷静で口数の少ない大人びた少年』という認 識があったのだろう。
 「やだ……やだよおっっ!」
 もう一人の少年も、大きな瞳から涙をぽろぽろ零しながら絶叫して いる。
 この二人の少年たちは、大人たちにとっては馴染みの深い人物 だった。15歳くらいの大人びた少年は『主任』と呼ばれていた少女と 仲が良く、将来は結婚するとまで公言していたほどである。
 それに対して10歳くらいの少年の方は、『主任補』と呼ばれた初老 の女性に良く懐いていた。
 聞けば、彼女にとっての『初孫』であるそうだ。
 ややあって。
 「……二人とも、良く聞くんだ。彼女たちから、言伝を預かっている」
 「……え?」
 「何ですか」
 一人の男が、少年たちに告げた。彼の胸元には、責任者の証とも 言える小さなバッジとネームプレートが付けられている。
 少年たちは、彼の顔をじっと見た。
 「……『守れ』と。自分たちが作り上げたものを、『守って欲しい』と」
 一人はしゃくりあげたまま、もう一人はぐっと唇を噛み締めて男の 言葉に耳を傾けていた。
 「……『守れ』って、いつも言ってた『あれ』のこと?」
 手で涙を荒々しく拭いながら、しゃくりあげたままの少年が男に尋 ねた。
 「そうだ。……そういやお前さんは、いつもあいつに言われていたな」
 「うん。ばあちゃん、言ってた……」
 男の言葉に小さな声で返して、少年は俯いた。
 しばらくの沈黙の後。
 「……判った、俺は『守る』。あいつの遺志であるのなら」
 大人びた少年の方が、はっきりと言った。その口調は、他の大人た ちが良く知っているそれと同じものだ。
 「おれも守る!」
 「よせ。お前はまだ小さい」
 「兄ちゃんだってちっちゃいじゃんか!」
 大きく手を上げて宣言した少年に、もう一人の少年はちらりと見 やって静かに返す。
 この二人の少年には血の繋がりこそないが、『兄弟』とも呼べるよ うな絆があった。
 「――そうだ。『守る』には、お前さんたちはまだ小さい」
 二人に遺言を伝えた男が、きっぱりと告げる。その言葉に、少年た ちは彼を見上げ
て次の言葉を待った。
 「良く聞け。主任たち――あの二人は、『あれ』を封印するために 2つのプログラムを作った。一つは10年後、自動的に解除される」
 「――10年後、ですか」
 少年の一人が小さく呟いた言葉に、男は軽く頷いた。
 「そして、もう一つ。――これは、自動的に解除された方のプログラ ムのキーワードが必要だ。おそらくあの二人は、この二つの封印を 『守れ』というんだろう」
 続けた男の言葉に、しばらくの沈黙が続き。
 「――判りました。それを『守る』為に、俺は強くなる」
 静かな、それでいてはっきりとした口調で、彼は答えた。
 「おれも強くなる!」
 その横で、高らかな宣言が上がった。
 「……そうだな、期待しているぞ」
 その宣言した少年の髪を、もう一人の少年が手荒く撫でる。
 そんな光景――少年たちを、大人たちは穏やかなまなざしで 見守っていた。


 10年後。
 廃墟となった建物の中。
 ――いや、『地下』と呼べる所で。
 幾つもの機材が、細いコードを通して一人の少女を束縛していた。
 突然、合成された人間の声が、言葉を紡ぎ出した。
 『第一封印プログラム――解除。覚醒します』
 裸体の少女を繋いでいた白く細いコードが、次々に外されていく。
 「……」
 そのラヴェンダー色の瞳を開けて。
 「……ここは、どこなの……?」
 誰もいない薄闇の中、少女の呟きが溶けるように流れていった……。