『電子狂に捧ぐ詩』・2


 Prrrr……Prrrr……
 電話の音で、目が覚める。
 携帯電話をとり、着信ボタンを押して。
 「……はい?」
 いかにも『寝起き』の、間の伸びた声で一言返した。
 『あ、ガウリイさん?おはようございます』
 「……お、アメリアか」
 電話を掛けてきたのは、アメリアだった。
 『早い時間に掛けちゃってすいません。……実は昨日言ってたアポイ ントの事なんですけど……』
 「……ああ、会社が掛けてる募集のあれか。どうした?」
 アメリアは、早速用件を切り出してきていた。周りで黄色いお喋りの 声が飛んでいるって事は、どうやらハイスクールから掛けてきてい るようだ。
 『ええ、特別にってプログラム開発チームの主任さんが会ってくれ る事になりました。それで、今から名前を言うんで、メモして下さい ね』
 「ああ。……うん、いいぜ」
 アメリアは、その開発チームの主任である人物の名前を告げてく れた。名前だけを確認する限りでは、どうやら女性のようである。
 『あと、『トレジャーボックス』の開発研究室っていうのが、中心街の 115番地にあるんですけど、そこの第3研究室に午前11時に来て欲 しいそうです』
 「サンキュ、助かったよ」
 用件の詳しい概要を教えてくれたアメリアに、俺は小さな声で短く 返した。隣の部屋ではリナが寝ている為、あまり大きい声で長く喋る わけにはいかないのだ。
 『じゃ、短い用件で申し訳無いんですけど。これから授業がありま すから』
 「ああ、忙しい時に悪かったな。じゃ」
 ぴっと電話を切ってから、俺は改めて壁に立てかけてある時計に 目をやった。
 AM8:25。
 ……と、その時だ。
 「……おはよお…ガウリイ……」
 声がして振り向いてみると、ドアの前にリナが立っていた。ストライ プ柄の大きなシャツと五分丈のスパッツ姿の彼女は、未だに眠いの か目の辺りを軽く擦っている。
 そのあくび交じりの言葉に小さく笑い、くしゃくしゃと髪を軽く撫でる。
 「おはよう、リナ。……早速だが、着替えて飯にでも行くか?」
 「……何で?もう少し後でもいいでしょ……」
 まだ寝ぼけ眼のリナが、俺の言った言葉の理由を尋ねてくる。
 「アメリアから、昨日のアポイントが取れたって連絡が入ったんだ。 『11時に会社の第3研究室で、プログラム開発チームの主任が会っ てくれる』ってさ」
 「本当?」
 俺の言葉で、いっぺんに目が覚めたようだ。赤い瞳を宝石のように 輝かせながら、リナはわしっと人の胸倉を掴んでくる。
 「取れたって、昨日言ってた『トレジャーボックス』の?」
 「お、おう」
 あまりの迫力に、俺はしどろもどろになって答えていた。
 ……のはいーんだが、苦しいんですけど……。
 「よおおおおしっっっ!そこで出来る限り情報を集めて、さっさと『電 脳の女神』を捜しに行くわよっ!」
 「あうううう……」
 よほど気合いが入っているらしい。リナは人の胸倉を、『がっくん がっくん』揺らしてくる。
 ……だから、苦しいんだっての……。
 「――さて。それじゃ着替えてくるわ」
 そう言って、リナは突然俺の胸倉から手を離した。
 決まれば、行動はとことん早い。さっさと俺から離れると、ドアを抜 けて自分の部屋へと引っ込んで行った。
 ……あー、苦しかった。
 まあとりあえず、俺も着替える事にした。今日は企業のお偉いさん と会う訳だから、それなりの服装で行かないとまずいだろう。
 着ている青のパジャマを脱いで、クロゼットを開けてみる。
 中に並んでいる服と、睨み合う事しばし。
 考えをまとめて、俺は中からハンガーを2本ほど引っ張り出した。
 一本目は生成りの麻のジャケットにスラックス。もう一本には、白の ドレスシャツ。
 それに袖を通して、編み込み地の革ベルトを締めて出来上がり。
 ……ちょっと、崩したほうが良かったか?
 まあ、ジャケットのデザインはカジュアル向けのものだからボタンを しめなくてもいいし、シャツの第一ボタンもあってないようなもんだ。
 どうしたもんかと悩んでいるうちに、リナが隣の部屋からやってき た。
 「……あれ?ガウリイ、まとも」
 開口一番になんて事を言うんだ、おい。
 着替えた俺を見るなり、リナはそんな事を言ってくれたのだ。くす ん。
 それはともかく、リナの方はグレーのワンピースの上にパステル調 の紫のニット姿。スカート部分は細かいプリーツが並んでいて、布地 が薄いのかフレアスカートのようにふわふわとしている。
 「おい。お偉いさんに会うんだろ、俺たち」
 「大丈夫大丈夫。細かい事は気にしない♪」
 俺の言葉に、リナは明るく返してきた。
 本当に大丈夫なのかね……。
 もし何かあったら、リナに責任を取ってもらうとしよう。うん。
 「じゃ、まずは腹ごしらえといくか」
 俺の提案に、リナは元気よく頷いてきた。

 
 からん。
 「いらっしゃいませ。――あら、おはよう」
 朝飯にありつく為に入った『CHAOS』のドアを開けると、いつも通り 服装を黒でまとめたローラが微笑みかけてきた。
 「おう。さっそくだけど、いつものモーニング3人前ずつ」
 「コーヒーは?」
 「もちろん」
 「いつもの奴ね。待ってて」
 短いやり取りの後、笑顔のままローラがキッチンに引っ込むのを 確認してから、俺とリナは四人がけのボックス席を陣取った。
 顔を上げると、昨日の常連たちがやはり朝食を取る為にそれぞれ で席を陣取っていた。
 今朝の常連は、ゼルとシルフィールだけ。
 アメリアは今頃ハイスクールで勉強中だし、ゼロスもこの時間は幸 せそうに眠っている頃だろうから、仕方のない事なのかもしれない。
 あ。
 昨日『いなかった』常連がいた。
 ゼルとシルフィールが陣取っている隣のボックス席を一人で占領し ている、彫りの深いごつい顔のごつい男。
 「――お?ガウリイにリナか」
 ふんぞり返った状態で俺たちを見つけると、その男はにやりと笑っ た。
 「――あー。おっさんかよ」
 俺はわざとうっとおしそうに言い、頭を『がしがし』かいてやった。
 『おっさん』と称したこの男。ざんばらの赤く長い髪に、着ているの はかっちりとしたスタンダードな紺のスーツ。
 はっきり言って、何処から見ても『マフィアの大物』にしか見えない このおっさんも、『CHAOS』の常連だったりする。
 名前はガーヴ。職業は……。
 聞いて驚く事なかれ。『スィーフィードタウン警察の警部』なのであ る。
 いやあ。人間、見た目だけで判断できないねえ。うんうん。
 「どうした?今日は、えらく普通のかっこじゃねぇか」
 俺に近づいてくるなり、おっさんはそんなことを言ってきた。
 ……俺、いつもはどんなかっこしてるんだろう……。
 それは、心の中で呟いておく。
 「――ん、これか?今日、ちょっと企業に用事があるから」
 「何ぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっ!!?」
 答えた俺に、おっさんは大声を張り上げて後ずさった。
 「お前……面接でも受けるのかっ??」
 「おい……」
 信じられないような顔で言ったおっさんに、俺はジト目でツッコん だ。
 「違うわよ。いい仕事があるらしいから、企業で情報を貰う為に行く の」
 「あ、そうか。ああよかった」
 リナの説明に、胸をなでおろすガーヴのおっさん。
 「いや、てっきりまっとうな仕事につくもんだと思って……。何と言って も、似合わないからな、ガウリイには」
 「その割に、自分の部下になれだのうるさいだろうが。俺に警官の 制服を着せたいのか?」
 「俺がよけりゃ、それでいーんだ」
 ……嫌な言い合い……。
 あ、そうだ。これ、おっさんにも聞いてみよう。
 「……あ、おっさん。どうでもいいけど『電脳の女神』って知ってる か?」
 「……何だ、それ?」
 俺の問いに、おっさんは首をかしげた。
 無理もないかな。この人も、コンピューターの類には疎いから。
 そこで、ふいに。
 「――『電脳の女神』?聞いた事があるぜ」
 そんな声がした。
 俺は声の方向に振り向いて。
 「――ルーク?」
 実は、こいつも『CHAOS』の常連の一人なのである。
 黒い逆毛にキツい目つき。Gジャンと黒のTシャツ、ジーンズ姿の 青年が、ルークである。
 職業は『ハンター』と自称しているが、何てことはない。金さえ取れ れば何でもやる『何でも屋』である。
 そういや、いつもミリーナっていう銀髪美女と一緒に行動しているは ずなんだけど。
 そんな俺の心の中を察したのか、ルークはいきなり泣きそうな顔に なった。
 「聞いてくれよ!!」
 ……なんとなく、嫌な予感……。
 「ミリーナの奴、俺を置いて潜入捜査するとか言ってどっかいっち まってんだよおぉぉぉぉっっっっ!!」
 ルークは俺に抱きついてきて、おいおいと泣き出した。
 ……そんな事だと思ったよ……。
 とにかくこのルーク。相棒のミリーナにぞっこんで、何かと彼女と行 動したがる困った『らぶらぶ野郎』なのである。
 「……で、『電脳の女神』のコト、聞いた事があるって?」
 やや呆れて、俺は奴に尋ねてみる。
 「――っと、『電脳の女神』の事だよな。その手の世界じゃ有名な コンピューター会社で所属してる、専属プログラマーのあだ名でな。 本名とか、詳しい経歴やらのプロフィールは、全部会社が保管して いるって話だ。ただ判っているのは、そのあだ名を持ってる人物が1 5歳くらいの女の子って事だけだな」
 「!?」
 ルークの説明に、俺は言葉を詰まらせた。
 15って……、リナと同じくらいじゃないか。
 いや、リナも大した奴なのだ。スキップを重ねて、わずか12歳でゼ フェーリア大学の修得課程を修了したという才女なのだから。
 「『電脳の女神』を見つけた者には……確か、多額の報酬が支払わ れるって言ってもいたな。今じゃどこの企業でも、そんな内容の情報 流してるけど……」
 そこまで言って、ルークは軽く俯き。
 「その『電脳の女神』には、『ガーディアン』が守護しているとも言わ れてるしな」
 続けた奴の言葉に、俺は鋭く反応した。
 ……正確に言えば、言葉の中の単語になるのだが。
 「……ガウリイ」
 リナが、俺を呼んで見上げてきた。
 『俺は『ガーディアン』。『電脳の女神』を守護するもの』
 昨夜俺たちの前に立ち塞がった、あの男の瞳を思い出す。
 「――ルーク」
 「あ?」
 俺が小さく名前を呼ぶと、やや緊張した表情でこちらを見た。
 「……その『ガーディアン』に会った事は?」
 「――いや、俺はない。ミリーナなら、会った事あるかも知れねえ けどな」
 「ミリーナが?」
 答えたルークに、俺はもう一つ問い掛けた。
 「さっき、潜入に行ってるって言ったろ?今あいつ、企業の社員とし てどっかに潜り込んでるらしいんだ。――だから、その『ガーディ アン』に会ってるかも知れない、て訳だ」
 「――なるほどな」
 しばらくして、ローラが料理を運んできた。青野菜やチーズ、ベーコ ンやらを大きなボウルいっぱいに盛ったグリーンサラダと、自家製ド レッシングの瓶である。次にきたのはグリルチキンや厚切りのベーコ ン、ローストビーフに目玉焼きに生ハムなどをそれぞれ切り分けた バケットに挟んだ特製のサンドイッチだ。
 これに、ポットに入った特製のブレンドコーヒーが付く。
 ちなみに、これ普通の人の分量で言えば8人前はざっとある、と言 うのはローラの弁。
 今朝の軽い朝食を食べ始めた俺たちに、思い出したようにルーク が尋ねてきた。
 「……ところで、さっき『ガーディアン』に会ったのか聞いてきたよな」
 「ああ」
 「じゃあ二人は……その『ガーディアン』に会った事でもあるのか?」
 「そんな事、何で聞くんだよ」
 その言葉に、俺は反対に聞き返してみた。
 「なんかさ、俺が『ガーディアン』の単語を出した時、旦那の様子 がいつもと違ってたから……ってのが理由だが?」
 答えたルークに、俺は小さく息をついた。
 「……ち、ばれたか」
 「あんたはポーカーフェイスやたら上手いけどな。こればっかりは、 どうも違ってたみたいだぜ」
 呟いた言葉に、ルークはにやりと笑って指摘してきた。
 「……ああ。会ったよ。『ガーディアン』と自称する奴にな」
 「――何かやらかしたのか?」
 「や、少しお話しただけさ。穏便にね」
 唐突に割り込んできたおっさんにあっさりと答えると、俺は口を開け てグリルチキンのサイドイッチにかぶりついた。
 リナの方は……完全に食事に没頭している。
 「ところでな、一つ聞きたいんだが」
 不意に、おっさんが口を出してきた。皆の視線が、一気に集中す る。
 「その『電脳の女神』を探すとかどうとか言ってるが……」
 「んー、『電脳の女神』を取り込んで恩恵を受けるために、いろんな企 業が血眼になって探してるのさ」
 口の中のものを飲み込んで、俺はざっと説明する。
 「ふーん。神様なんぞ取り込んで、どうするつもりやら」
 おっさんの言った言葉に、俺は小さく苦笑した。確かに神とも呼ば れる存在とはいえ、たった一人の女の子(推定)を血眼で探している 企業の連中は道化者だと思う。
 そして、その情報に踊らされている人間たちも。
 「上手い事言うもんだな。おっさん」
 「まあな」
 俺の言葉ににやりと笑って、おっさんはウインクしてみせた。
 ……『流石、伊達に歳は食ってない』とか言ったら、ごつい拳でど突 かれそうだから言わなかったけど。
 「――と、リナ!そのサンド俺の!」
 そろりと伸びてきた手を軽くはたき、ちらっと彼女を睨みつけた。
 「だって、もういらないと思ったんだもん」
 「んな訳ないだろ。……って、言ってる横からキープしておいた生ハ ムのサンド取るなっ!」
 「そー言って、あたしのポーチドエッグのサンドさんを取ろうとしない でよっ!」
 言われて、ぺちんと強く叩かれる。
 ……しくしく、痛い。
 「……お前ら、食うか喋るか、どっちかに優先できないか?」
 ぽつり、言ったゼルのツッコミに。
 『できない』
 俺と、リナの声がハモった。


 そんなこんなで。
 平和な朝の食事を終わらせた俺たちは、『CHAOS』でしばし時間を 潰してから中心街に行く事にした。
 俺たちの住む『スィーフィードタウン』は、無国籍都市として成立し ている、世界的にも例の少ない街である。
 特徴の一つとして挙げられるのが、ここでの交流。とにかくありとあ らゆる国の文化と物流が飛び交っている。
 基本的にアメリカがベースとなっているものの、イギリス、中国、フ ランス、日本。
 果てはインドやアジア諸国、アフリカあたりの文化もあったりする のが侮れない。
 それはさておき、俺たちが住む『スィーフィードタウン住宅街』は、こ れから向かう中心街から少し離れている。とはいえ『スィーフィードタ ウン』自体は日本の四国地方の2倍ほどの面積があるのだが、中 心街が占めるのはその約五分の一程度でしかない。
 そんな狭苦しい中で高層ビルが軒を連ね、多くの人々がここを目 指しているのだ。
 中心街へは、電車で行く事にした。この地域で働いている人々は もっぱらバスや電車に頼っているので、俺たちもそれに倣うという訳 だ。
 住宅街の駅は意外と少なく、20駅。その一つ、『6番住宅街駅』か ら、俺たちは中心街へと向かう。
 朝のラッシュ時間は過ぎているものの、電車の中は比較的混んで いる。それなりに若い俺たちは、座席横のポールに掴まって目的地 までの時間を過ごす事にした。
 なお、小柄なリナの方は、ポールではなく俺のジャケットを掴んでい る恰好になっている。
 ……。何だかなー。
 あと、中心街115番へは、今乗っている電車が一番近い路線なの だ。駅の名前は『6番中心街駅』。
 ……にしても、どーしてこうもネーミングが安直なんだ。この街は。
 とか、下らない事を考えてると。である。
 「……だーーーっっっ!!」
 突然、何物かが吠えた。
 声にびっくりしてその方向を見てみると、なにやらごたごたが起こっ たようである。
 周囲の人は、控えめにその周りを盗み見しているようで。
 「何?」
 俺を見上げて、やはりびっくりした顔のリナが尋ねてきた。
 「……さあ……」
 言葉を濁した直後、もたもや怒鳴る声が聞こえてきた。
 「誰がデートとかに行くってんだ、俺は男だっ!」
 ……。
 車内、沈黙。
 直後、爆笑が巻き起こった。
 にしても、この電車の中の乗客、ひどい奴ばっか。
 「は、ははは……」
 例に漏れず、俺もひどい奴に当てはまるかもしれないが。
 思わず、乾いた笑いしか出なかったりする。
 いや……昔は俺も、見た目のせいでやたらと見知らぬおっさんにコナ 掛けられて、ボコボコにした――なんて事もあったもんで。
 それはともかく、この事件に興味が沸いたのは言うまでもない。
 「リナ、掴んだままでいいからついといで」
 小さな声で囁いて、俺は彼女と共に声の方へと近づいて行った。
 まあ、狭い車内の中なので、すぐに辿り着く事はできた。怒鳴った 奴の顔も拝む事もできたわけだが。
 はっきり言おう。
 そいつは『女』と偽っても充分通用するような顔だった。
 短く刈った栗色の髪に、澄んだ青の瞳。目鼻立ちの整った、ちょい と大人びた女性のような輪郭。
 服装は、大きな女物のドレスシャツと、細身のジーンズ。
 確かに、黙って立ってりゃナンパに声掛けられそうな容姿ではあ る。何と言っても、一見すれば『ボーイッシュな美少女』だもんな。
 ……ただし、口を開けばガラはかなり悪くなるが。
 一方、こいつに声を掛けたおバカな奴は、真紅の派手なスーツの 襟をクロスするように掴まれて、ちょっと苦しそうである。
 「どこをどう見たら俺が女に見えんだっ!言ってみやがれ!」
 ……全部。
 心の中で、声すら出せないおバカな奴の代わりにツッコんでみた、 その時だった。
 「――その辺にしておけ」
 ……この声は?!
 俺は、昨日と同じ緊張感を感じた。
 低く通る声。
 長く、無造作に伸ばしたブロンドの髪。
 切れ長の瞳に宿る、眼光も鋭い。
 間違いない――俺はそう確信した。
 「……あの人」
 リナも、気が付いたらしい。
 昨日、俺たちの前に立った、『ガーディアン』を名乗る男。
 奴はどうやら、俺たちの存在に気付いていないらしい。掴まれてい る男の方を向き、静かな口調で告げる。
 「申し訳ない。これは俺の連れだ、非礼を詫びよう」
 そして、掴んでいる手をゆっくりと解きほぐすように外した。
 「……何だよ、何で!?」
 掴んでいた方が、むきになって奴に食って掛かってきた。
 だが、そいつは静かに一言。
 「俺の迷惑を掛けるような事はするな――そう言ったはずだ」
 鋭い、ナイフの切っ先のような瞳を、女の子のような奴に向けた。
 すると。
 「わかったよ……」
 驚いた事に、こういつはしぶしぶ引っ込んだ。
 ふーん。頭の上がらない、弟みたいなもんか。
 感心しながら見ているうちに、やがて騒ぎは収まった。間抜けなナ ンパ男の方は、ぜいぜいと息を切らせながら足早にどっかへ行って しまい、いつもの車内風景へと戻っていく。
 その時。
 「……!」
 俺は、確かに見た。
 昨日の奴が、俺を見て。
 微かに……微笑んでいたのを。
 あの笑みの理由は、何だ?
 俺の考えも露知らず、電車は目的地へと走らせて行く……。

 ほどなく、目的地がある『6番中心街駅』についた。
 この近くに位置している115番地は、ビジネス街の一つとして機能 している。
 そして俺たちが目指す『トレジャーボックス』のビルは、この中にあ るわけで。
 「――ここ、かな?」
 「そうみたいだな」
 入り口の前で、小さく呟いてみる俺たち。
 自動ドアを抜けると、清潔感のある空間が広がっていた。床と壁は 白い大理石、インフォメーションのテーブルは柔らかい色調のアイ ボリー。
 ひとまず、である。
 「……すいません」
 「はい」
 少し緊張しながら、インフォメーションのお姉さんに声を掛けた。
 「えーと……第3研究室に行きたいんだけど」
 「かしこまりました。……アポイントはお伺いしておりますでしょう か?」
 そらきた。
 お姉さんの質問に、気を引き締める。
 「ええ。アメリア=ウィル=テスラ=セイルーンの紹介で」
 舌を噛みそうな勢いで、何とかアメリアのフルネームを出してみる。
 「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
 なのに。
 お姉さんはちっとも慌てた様子を見せずに一礼して、テーブルの下 の内線電話(らしい)を取った。
 「……ガウリイ?」
 きょとん、として見上げてきたリナに、小さい苦笑いを一つ。
 「――こーいう場面には、慣れてないんだよ」
 や、行儀が悪い、ってのは自覚している。
 何せ、育ててくれたのが『あの』人だから。
 「――お待たせ致しました」
 ややあって、お姉さんがにこやかに言葉を返してきた。
 「アメリア=ウィル=テスラ=セイルーン様のご紹介でございます ね。お名前は、ガウリイ=ガブリエフ様で宜しかったでしょうか」
 「あ、はい」
 気を取りなおして、はっきりと答える。
 「かしこまりました。確認を頂きましたので、ご案内申し上げます」
 お姉さんは、第3研究室の場所を教えてくれた。彼女によると、こ の先のエレベーターで25階まで上がってすぐの所にあるそうで。
 説明を聞き終えて、俺は彼女に笑顔を浮かべた。
 「どうもありがとう」
 お姉さんは丁寧に一礼して、見送ってくれたようだ。
 涼やかな顔のままリナを連れ、タイミングよく到着してきたエレベー ターに入った瞬間。
 「――ふう……」
 俺は、一気に緊張を解いた。
 「だめねえ、このくらいで緊張しちゃ」
 くすくす笑いながら、リナがツッコんでくる。
 「仕方ないだろ?行儀が悪いんだよ」
 壁にもたれて、苦く呟いた。
 「だってこの調子だと、何回も緊張しなくちゃいけないわよ?」
 そーいうコトを言ってくるリナの表情は、あくまでも『余裕綽々』と いった感じだ。
 俺は改めて、思った。
 こういう機会に、慣れている、という事実。
 リナの生家は、食品貿易会社をやっている。父親が社長、母親が 重役のポストに座っているそうだ。
 彼女には、姉貴が一人いる。その姉も両親と同じように重要なポス トに就いていて、リナはいろいろと連れて行ってもらっていたんだろ う。
 でなきゃ、これほど余裕を持って俺の前に立っていないはずだ。
 しかしリナは、姉と比較されるのが嫌で家出したのだという。この街 で運び屋という仕事について、それが縁で俺と出会ったのだ。
 何故彼女が、この街を選んだのかわからないが。
 スィーフィードタウン。
 様々な国の文化が組み合わさって出来た、無国籍都市。
 けれどそんな魅力的な外見とは裏腹に、もう一つの一面を持って いる。
 犯罪――殺人、強盗、売春――そんなコトが日常茶飯事で起 こる街。
 幸い俺たちが住んでいる5番住宅街では、そういった犯罪の数が 少ない。
 だが治安のいい国に比べればまだまだ多いほうだと思っている。
 そんな街に、何故単身で乗り込む必要があったのだろうか。
 ……と。
 「どうしたの?」
 不思議そうな口調で、リナが問いかけてきた。
 「ああ。……考え事だよ」
 小さく笑みを浮かべて答えたとき、エレベーターのドアが開いた。