「――ガウリイ?」 声に振り向くと、リナが少し心配そうに見上げていた。 「何だ。何か、俺の顔についてるか?」 「うん、目と鼻と口が。――ああ、あと眉毛もついてるわね」 「……あのなあ」 「ま、もちろん冗談だけど」 返って来た懐かしのボケに脱力しつつ、リナの頭を軽く小突く。 とゆーか、冗談じゃなかったら俺は人間じゃないと思うぞ。をい。 そんなツッコミを口の中で呟いた直後、リナは急に真剣な顔つきになった。 「あの時、ナイトメアさんの誘いに乗らなかったのね」 「まーな」 言ってきた言葉に、短く呟いた。 「どうして?」 「別に、大した理由はないさ」 俺はそっけなく答えてから、リナの方をちらりと見た。 「ただ、情報に貪欲になりすぎるのもちょっと辛いし、な」 「え?」 「どーせお前のことだ。報酬を吊り上げたいから、もっと情報を集めたいんだろうが」 「う」 俺の指摘に言葉を詰まらせたリナは、苦い表情で覗きこんできた。 ほら、やっぱり。 「今でも、十分探しに行く為の必要な情報は揃ってる。――ただ、不安要素が多いってのもあるからな。 それの対策もあるし」 「――なるほど」 続けた説明に、リナは納得したように頷いた。 「それって、ジルさんのネットカフェに来た連中のコトね」 「そういうこと」 奴らの事は、ジルさんにしても気がかりだろう。もしもまかり間違って『女神』の力を奴らが手に入れる と、どんな事態になるか……。 そして、それを阻止する為に動いているナイトメアの存在。 ――あ。そうか。 「?」 はたと気が付いた俺の顔を、リナが訝しげに覗き込んで尋ねる。 「何?どうしたの」 「ん?あの二人」 「あの二人?あの二人って……」 「あの二人、多分ジルさんを知ってる」 「え?」 答えると、目を丸くして聞き返すリナ。 「ほら。ジルさんのネットカフェで見ただろ?十年前の写真」 「――あ!」 「な?」 はっとした表情のリナに、俺は軽く笑いかけた。 「……それじゃ」 「ああ。多分――いや、確実にだろうな」 主語が抜けてはいるが、それでも話の内容は把握できる。 ナイトメアもケインも、キャナル――『電脳の女神』の知り合いってことだろう。 写真を見た後で、うすうす感づいてはいた。それが確信となったのは、あの二人が名乗り出てくれたか らなんだが。 ナイトメアにしろ、ケインにしろ。顔つきが大人っぽくなって精悍さも加わっているが、基本的な部分はあ まり変わっていない。 「それじゃ、ジルさんに『ガーディアン』のことを聞いたのは?」 「――んー、知ってるかなあ。くらいの予想で聞いてみただけ」 まあ、どうやらジルさんはあの二人が『ガーディアン』であることを知らないようだし。 「まあそれは、あとでもうちょっと詰めてみる必要があるだろ」 と、話題を切り上げて。 「いい加減にしないと、うちに帰れなくなるぜ」 言いながら、腕時計を見せてやる。 PM8:50。 「やだ、いつの間に?」 びっくりしたような顔で、リナが声を上げた。 まあ変なのにつきまとわれて、その後なんだかんだとやってたから。それくらいの時間は経過するんだ よなあ。 ついでに。 「言っとくけど、中心街からの電車は終電が少し早いんだぞ?昔運び屋やってたお前は、知ってるだろう けど」 「やばい、わね」 ばつの悪そうな顔で俺を見て。 「どーしてそれを、早く言わないのよ」 「お前な」 唐突に、責任転換してくるし。 ジト目でそれにツッコミを入れるが、そうも言ってはいられない。 「ま、とりあえずは戻りますか」 今度ばかりは、リナも頷いた。 そんな訳で、俺たちは早速四島を結ぶ電車の駅に向かうことになった。 それにしても、今日はよく走り回ったもんだ。 そんな風に、乗り込んだ電車の中で思い返してみる。 アメリアから連絡が入って、ローラの店で朝飯を食って。それから中心街に出て、カーリーさんに会っ た。 その会社でミリーナとばったり出くわして昼食を取ったのはいいものの、ミリイに盗聴機仕掛けられる し。 今度はそのミリイと一緒にブラフマーシティに足を伸ばして、そこでジルさんから詳しく話を聞いた。 その後、スーツ姿の奴らに追っかけられたあげくに『ガーディアン』――ナイトメアとケインの二人と御対 面と来た。 とにかく情報収集の為に動き回った結果、かなりの情報を仕入れることができたけど。 ――っと。 「リナ、ペン持ってるか?」 「――持ってるけど、何するの?」 「ま、見てな」 ジャケットから小型のシステム手帳を取り出しながら言う俺に、リナは渋々ポーチからボールペンを手 渡してくれた。 そっさく、今日仕入れた情報を手帳に書き出していく。 「――何?そのミミズののたくったよーな文字」 「悪かったな」 リナの言葉に渋い口調でツッコミを入れつつ、その『ミミズののたくった』ような文字を書いていく。 ただし、一般の人間にはそう見えるだけ。 俺は、速記で情報を書き出しているのだ。 速記というのは、特殊な文字を使って聞き出された情報を書き上げるもので、普通に文章を書くよりも 数倍のスピードで仕上げるコトができるのだ。 「サンキュ。もう終わったよ」 「もう?」 俺の言葉に、目を丸くさせながらリナが聞いてくる。ものの一分もしないうちに、集めた情報を書き上げ たのだ。 「あとでちゃんと直してやるさ。今のは、ちょっとした暗号替わりで書いただけだからな」 ウインクを一つして、俺はリナに言ってやった。 「ま、とにかくあとは……」 「色々な対策を練るだけ、よね」 「そーいうコト」 二人、小さく頷き合った。 「さーて、どんくらいふんだくれるかなあ?」 伸びをしながら言うリナに、がっくりと脱力する俺だった……。 「やー、帰ったぜ」 「あら、お帰りなさい」 スィーフィードタウンに着いたのは、結局午後十時を回っていた。 そのまま『CHAOS』に直行してローラに注文を済ませると、さっさとボックス席に移動した。 さすがにこの時間だと、常連の数も少ない。門限のあるアメリア、仕事中のゼロスの姿も無い。 いるのは、ゼルとルーク……だけのようである。 「よ。また会ったな」 「朝に会ったばかりだろうが」 声をかけると、ゼルがすかさずツッコんできた。 むう。いいじゃないか。 「ほっとけよ。で――お前、今日の仕事は?」 「なかった。――ま、駆け出しだからな。一日くらいこういう日があってもいいさ」 苦笑いをして、俺の問いに答えてきた。 ――まづいこと聞いたかも……。 「あんたの方はどうなんだ?」 「う?」 くりん、と振り返ってみる。ルークが、いつもの調子で尋ねてきたのだ。 「うーん……まだ尻尾が掴めたとは言いづらいんだよな」 はぐらかしているわけではない。正直な感想である。 問題をたくさん抱えている、という理由での答えなのだが。 「へえ、珍しいもんだな。あんたほどの『正義の味方』が、何の進展もないってのは」 う、痛い処を突いてきた。 しかし、その辺は顔に出さずに。 「ま、俺はそこまでスーパーヒーローじゃないってことだろ」 「そうかも知れねーな。俺もあちこち回って情報仕入れてるんだが、先っぽすら掴めねえから焦るの何 のって」 「そうそう」 お互い、大変なんだなあ。 そろってぼやいてから、ルークと二人で溜息をついた。 それにしてもこのルークという奴は、どうも奥の深い奴に見えてしまう。 その辺がやつの謎めいた要素の一つなのだが、もしかしたら俺と同類なのかもしれない。 「っと」 ルークが、ジャケットから携帯電話を取り出した。どうやらマナーモードにしていたらしい。 「はい。……あ、ミリーナっ♪」 憮然とした口調から一転、ミリーナの名前を呼ぶところからいきなりトーンが明るくなった。 うむ。つくづく判りやすい奴。 何と言っても犬の尻尾をぱたぱたと振ってるようなノリで喜んでるし。 会話を邪魔する訳にもいかないので、リナに視線で合図して別の席に移動しようとした、その時だった。 「へ?旦那に会ったのか、昼間」 びしっ。 ルークの突拍子もない受け答えに、俺とリナは硬直した。 そーだよ。 これでもコンビ組んでるわけだから、連絡は一応行く筈なんだよ。 にしても、タイミング悪……。 もしかしたら、あの時にミリーナに口止めしておくべきだったかもしれない。 しばらくして、会話は終わったらしい。ルークは俺たちの元に近付き、真剣な顔つきで。 「――旦那、聞きたいんだが」 「お、おう」 その迫力ある口調に、思わず身構えてしまう俺。 「ミリーナの奴に、ちょっかいかけてきた男、いなかったか?」 「……は?」 やたらと鬼気迫る顔でそんなことを聞かれ、一瞬言葉に詰まり。 そのあと。 リナと二人して、その場にずるずると崩れた。 「いや、だってさ。ミリーナ程の美人だからさ。つまんねー男……っつーか、俺以外の男がちょっかいかけ てんじゃねーかと心配で心配で」 「――お前ね……」 反応するんじゃなかったと思いつつ、なんとか立ち上がる。 「まー、それはなかったな。見たところ、女しかいない職場みたいだし」 あてずっぽうに答えると、ルークは安心したように息をついた。 つーか、本気で心配してたのか。こいつ……。 「いや、待てよ。女しかいないってことは、そーいう趣味の女がいる可能性だってあるわけだし、だとしたら ……。ああ、やっぱ心配だあっ」 何やら訳の判らないことをぶちぶち言って頭を抱えるルークは……もうほっとくことにする。 さて。これからどうするべきか…。 本当に訳の判らない依頼だと、思う。 とりあえず情報網を張り巡らせて、気長に彼女が引っ掛かるのを待つしかないか。 それとも……。 かろ、かろろん。 「いらっしゃいませ……あら。随分とお久し振りね」 ドアベルの音に続いて聞こえてきたローラの声に、ふと入り口を見てみると。 「……げっ……」 ある意味、苦手な奴が顔を出していた。 「久し振りです、ローラさん。……っと、やっぱりここにいたか」 「えーと……誰だったっけ」 横で間抜けなことを抜かしているリナを囮にして逃げようと後ずさったが、時は既に遅し。 「親父がここなら、って言ってたのが大当たりだよ。まったく」 「あー……元気にしてた?ヴァル……」 引きつった声で、俺はそいつに笑い掛けた。 襟足で固く結わえた水色の髪に、鮮やかな紫の瞳。 スィーフィード警察が支給する紺色の制服を着た、二十歳そこそこの青年がヴァルである。 半袖から覗く腕はやや細いが、それでもしなやかな筋肉をつけている。 ごていねいに、黒のネクタイをきっちりと締めているあたり、こいつの性格を如実に現していた。 実はこいつ『あの』ガーヴのおっさんの息子なのだ。厳密に言えば『養子』なんだが。 ともかく。 あの『親父』に憧れて警察官になってしまったこの男は、俺にとっての第2の天敵とゆーか苦手な奴 だったりする。 「親父から聞いたぜ、また何か依頼を受けたって。そんな不確かな金儲けはもうやめて、ちゃんとした職 に就いて落ちついたらどうなんだよ」 うう。耳にたこが出来る言葉。 こいつも、おっさんと同じく『警察で働いたらどうだ』と言ってくるのだ。 てゆーか、ヴァルは天職だと思う。元々正義感の強い奴だし、性格だって真面目な方だ。 しかし、想像してみていただきたい。この俺がばっさり髪を切り、警察官の制服を着た姿。 俺からしたらはっきりいって『滑稽』以外の何物でもない。 ちなみにこれを、以前『CHAOS』の常連やローラに聞いてみたところ。 『似合うじゃないの』だの『転職もいいんじゃないですか』だのと、やたら無責任な答えが返ってきた……っ てのは、また別の話なんで、話を戻す。 「……で、何だよ。まさかいつもみたいに説得に来た訳じゃないんだろ?」 「ん?ああ。兄貴、明日身体空いてるか?」 「明日か?」 ヴァルの問いに、俺はちょっと考え込んだ。特に用事はないから、身体が空いてるってコトは空いてる んだが。 「……明日、何かあんの?」 「母さんの墓参り。朝会った時に言いそびれたから、親父に頼まれてさ」 「墓参りって、確か命日はまだ先だろ?」 「そうなんだけど、な」 ヴァルは少し苦笑いを浮かべて、言葉を続けた。 「命日の日、親父がどうしても抜けられない会議があるから抜けられないんだと。フィリアの方も、学会で のレセプションに出なきゃなんねーらしいし」 「なるほどね」 大納得。 まさか『あの』おっさんに会議なんて単語が出るとは思わなかったが。 俺はちらりとリナを見やり、尋ねる。 「と、言う訳なんだが、どうする?」 「別にいいんじゃない?情報だけならあたし一人でも集められるし」 うあ、すっげー薄情な。 「いや、リナにも来てくれるように頼まれてるんだけど」 「あたしも?」 さりげなく振ってきたヴァルに、きょとんとしながら尋ねた。 「ああ。親父が是非会わせたいから、ってさ」 「おじさんからの頼み、か。後が怖いもんね」 「助かるよ」 肩をすくめて言ったリナに小さく笑みを浮かべると、ヴァルは改めて俺の方を向き直った。 「……てな訳で、明日でいいか、兄貴」 「ああ。……ところでお前、まだ仕事抱えてるのか?」 ふと、ずっと気にかかっていたコトを尋ねてみた。 厚さ2センチほどの分厚いファイルの束を、彼は幾つも小脇に抱えているのだ。 「ああ、これか?コンピュータ課の被害届とかが多くてさ。それの整理でちょっと忙しいのさ」 小さく息をついて答えたヴァルの言葉に、何かひっかかるものを感じた。 「被害届?」 「ああ。兄貴はコンピューターには疎いから、わかんねーかもしれねーけど」 うあ、さくさく痛い所を突つきまくるし。 俺とおっさんがコンピューターの類に疎いのは、以前説明したとおり。 しかしヴァルは、ある程度のコンピューターの知識があったりするのだ。 本人曰く『親父の役に立てるようになりたいだけ』と説明しているが、下手したら何でもかんでも面倒ごと を押し付けられるんじゃないかと心配してたりする。 頼むから、いきなりぽっくりと倒れたりしないようにな……。 「……で、続きいいか?兄貴」 ヴァルの言葉に、慌てて説明モードから切り換える。 「企業のホームページに、クラッカーによる不正な改ざんが何度もあるんだと。プログラマーが徹夜で頑 張れば復旧出来る奴から、一から作り直さなきゃなんないのまで様々で。そいで、売り上げやら作成に 関わる経費による損害があるとかで、対応に大忙し。お陰で、部署の違う俺にまで手伝いで駆り出される 始末、という訳だ」 途中美味そうな単語が出てきたりしたが、彼は一気に説明した。 「あ、そうか。お前もともと交通課だもんな。でもそういう被害届なんて、そっちのプロに任せりゃいいだろ」 「俺もそう言いたいんだけどな」 ヴァルは、言って肩をすくめる。 「正式には情報犯罪課っていうんだけど……そのプロ集団がうちの署に設立されたのが、かなり最近な んだよ」 「へ?いつ頃」 「今年の初め」 「は?」 思わず、目を丸くする。 「だからだよ。設備とかは最新のものらしいけど、それを使いこなす人間が片手で足りるくらいしかいねー よ。まあ、もともとはうちの署でコンピューターのプログラム解析やらを出来る人間を引き抜いて設立した 部署だから」 「……やたらお粗末な部署だな、それ」 「まあね。親父なんか『急ごしらえの部署を作るくらいなら、こっちに回せばいいのに』とか嘆いてるぜ」 「それって、おっさんの人使いが荒いからじゃないのか?」 汗を垂らして、思わずツッコミを入れてしまった。 実際、おっさんの手腕の荒さに、下の奴らが半年に一人か二人の割合で辞めたり転属したり……という 話を聞く。 ただしおっさんは、そいつらに対して『根性が足りない』と言ってるが。 「まあ、その辺はオフレコってことで。……とにかく、明日いつもの時間に家まで集合な」 「わかったよ」 「悪いね。それじゃ」 そう言って、ヴァルは慌しく出ていった。これから、あのファイルの束と格闘するのだろう。 「ちょっと、あの子何も頼まずに行っちゃったわけ?」 腕を組んでつまらなそうに言うローラの傍のカウンターテーブルには、白く大きなマグカップが置かれて いた。 いかにも甘ったるそうなカフェオレをなみなみと注がれたそれを指差し。 「……それどうしたんだ?」 「たぶん飲むだろうと思って、用意したんだけど」 俺の問いにしれっとした口調で返してくるローラ。 彼女が用意したというカフェオレは、ヴァルの好みに合わせて淹れたものだ。 砂糖とミルクをたっぷり入れた代物で、奴がコーヒーと名のつくもので唯一飲めるものである。 「折角作ったのに。……どうせだから、飲む?ガウリイ」 「……いえ、遠慮します……」 ローラの提案に、俺は丁重にお断りしたのだった。 |