この日も、平和だった。 車の量もそれほど多くなく、快適なものだ。 でも。 「なー、兄貴。大学まだつかねえの?」 車中では、やたらと退屈そうな声が尋ねた。 栗色の髪に蒼い瞳。白いパーカーの上に黒いデニム生地のジャケットを着込んだ青年は、運転席の男にぶちぶち不満を漏らしていた。 「当たり前だ。そう簡単に着いてたまるか」 それに対し、男も低い声でそっけなく答える。 男のほうは、見事な金髪に深い紫の瞳。黒一色のジャケットにシャツという姿である。 「だいたいだな、大学に行くの遅過ぎるんだよ。お前は」 「しょうがねえだろ?一コマ目も二コマ目も休講なんだから」 「だからって、俺の講義の時間にあわせて出かけるのはどうかと思うぞ」 「だって、俺兄貴の講義取ってんだもん」 「……その割にはお前を見たことないぞ、講義の間」 「……」 不毛な会話である。 しかし、その時。 「……っ!」 「わあ?!」 男が踏んだ急ブレーキに、青年はつんのめって転びそうになった。 「何だよ、いきなり!?」 講義する青年をよそに、男は険しい表情で呟いた。 「……おい、ケイン」 「んあ?」 「……あれは、何だ?」 ハンドルを握っていた指先で、その方向を差す。 二人が見たものは。 「うわあああ!?」 「きゃーーー!!」 「け、警察を……ひえええっっ!?」 慌てふためく、人々の群れ。 それぞれ悲鳴を上げ、散り散りになって逃げ惑う。 その中心に、それはいた。 『もっト……モッとメシを食わせろ……!!』 異形の身体をした、生き物がいた。 ただならぬ気配に、青年は車を飛び出した。 「って、おい、ケイン!?」 男の制止も聞かず、彼はその方向へと走って行った。 「キャナル、封結界だ!」 「了解!」 小さく一人ごとを叫んだ青年に、可愛らしい少女の声が答えた。 と。 青年のジャケットのポケットから、何かが飛び出した。 人形のような、小さな身体の少女である。ピンクと白がベースの、メイド調の服を着て、二本のおさげを長く垂らしている。 その少女は青年の肩にちょこんと立ち、何事かをぽつぽつと言い始めた。 瞬間。 世界の動きが、止まった。 慌てふためいて逃げ惑う人々も。 何事かと遠巻きに観戦する野次馬たちも。 そして、飛び出した青年を止めようとドアを開けた男の動きも。 「準備できたよ、ケイン!お願い!」 「……でも、マジでやるのか?あれ」 ここまでしておいて、彼は突然尻込みしていた。 「何を言ってるの?貴方だけなんだから、こいつを倒せるのは!」 「判ってるけどよ……あれ、恥ずかしいんだぜ?」 「封結界で時間が止まってる間は、大丈夫っていつも言ってるでしょ?」 『お前ら……何をブチぶち言ってイる?』 異形の生き物にまでツッコまれる事態である。 しばし、迷って。 やがて彼は、何かを捨てたようだ。 「判ったよ……いくぜ!!」 彼は、目を閉じた。 意識を集中しているのか、彼の胸元が、淡い光を放ち始める。 そして。 「……変身!!」 高らかに吠えた瞬間。 彼の身体は、まばゆい光に包まれた。 「ここまで恥ずかしい思いしてるんだ俺は!覚悟は出来てんだろうなあっ!?」 啖呵を切る青年の姿が、変わっていた。 淡いブルーを基調とした衣装である。 栗色の髪の後ろには、大きな青のリボン。その下からは、青いロープが垂れ下がっている。 肩には白い肩当てが素肌の上からくっついて、薄いブルーのシフォンのマントを固定していた。 パステルブルーの上着に、ウエストを飾る濃い青のベルト。 すらりと健康的な足には、黒のスパッツに厚底の青いスニーカー。 なによりも特徴的なのは、彼の額に光る金色のサークレットと左の頬についた小さな星のマークだった。 その姿は、何処からどう見てもテレビに出て来る『魔女っ子』であった。 「魔法の剣士まじかる☆ケイン、ただいま参上っ!」 ぴしっとポーズをとる彼――ケインは、なかばやけくそという表情をしていた。 『ナ……何?妖精国ノ刺客か?!』 言うなり、生き物は長過ぎる指をぱちんと鳴らした。 どこからともなく、黒い全身タイツ状態の物体がわらわらと湧いて出た。 『トラッターの皆さン、やっちゃって下サイ!!』 『ティーッ!!』 全身タイツの群れが、一斉にケインに襲いかかる。 しかし。 「うるっせえ、まとめて叩き潰しちゃる!!」 可愛らしい恰好から想像もつかないほどのべらんめえ口調でまくしたて、ケインは群れに突っ込む! 「もー、ケインったら……」 「キャナル?」 「雑魚はあたしに任せないと」 言うが早いか、人形の少女はひらりとケインの肩から降り立ち、何事かを呟いた。 そして、変化が起きる。 「我が手に集いし精霊よ、ここに破邪の力を示せ!」 立派な人間の姿をした少女がかざした光は、全身タイツの皆さんを一蹴した。 「さあ。ケイン、トドメを!」 「うっしゃあ!!」 黒く長い手袋のようなものをつけた掌から、青白い光が形を成す。 それは、まばゆく輝く剣のようだった。 「マジカルブレード!!」 気合い一閃。 ケインの放った斬撃は、異形の物体を一刀両断していた。 ぼしゅうっっ!! 斬られた物体から、白い光が迸る。 それをケインが掴み取ると、やがてきらきらと輝く金色の破片に姿を変えた。 「おっしゃ、紋章の欠片だ!」 にやりと笑い、ケインはそれをまじまじと見つめていた。 「ケイン、だめだ!!」 「……何が?」 「へ?」 ドアを開けて叫んだ男は、背後から聞こえてきた声にぽかんとなった。 見れば、車の後部座席には、何故か頭の後ろで手を組んだ青年がふんぞり返っている。 「……あ、あれ?お前、飛び出して行ったんじゃ……」 「俺、最初からここにいたぜ?兄貴、夢でも見てんじゃねえの?」 「……そ、そうか……」 何かキツネにでも化かされたような複雑な顔で、彼は車に乗り込んだ。 そう。 この青年――ケイン=ブルーリバーには、誰にも言えない秘密があった。 それは魔法の力で可愛い衣装で戦う『魔法の剣士』という副業がある、ということ。 しかも、これは今に始まった訳ではない。 彼の物語を語るには、少し前から遡らなければならなかった。 |