晴れた日の午後。 ケインはナイトメア、ミリイの二人と共に、ある病院の一室に来た。 「皆、来てくれたのね」 ベッドの上で、彼女は微笑んだ。 ここのところ多忙が続いたせいで倒れたと話を聞いていたが、思ったよりも顔色はいい。 「何言ってんだよ、ばーちゃん」 へへっと笑い、鼻の下をこすってケインが答える。 ナイトメアにミリイも、安心したような表情で立っていた。 「今日はね、みんなにプレゼントがあるの。受けとってちょうだいな」 祖母は枕元から、小さなケースを三つ取り出した。 ケースを開けると、不思議な光沢を持った円形のペンダントが入っている。 「……これは?」 「ある人から頂いたもの。でも、あなたたち3人に託します。これが、あなたたちを繋ぐ絆であるように祈っ ているわ」 傍らのナイトメアが問いかけると、祖母は優しく、真剣な眼差しで言い聞かせた。 それから数日後、祖母は旅立った。 もう二度と会えない、永遠の世界へと。 祖母の葬式が執り行われた時、初めて彼女が末期の癌に冒されていることを知った。 最後の対面に託されたペンダントは、彼女の唯一の形見となったのだ。 そして。 「……いつまで寝てんのよ!!!」 「どわっ!?」 聞き慣れた声と共にシーツを引き剥がされ、ケイン=ブルーリバーはベッドから派手に転がり落ちた。 「つつ……何すんだよ、ミリイ!!」 「いい加減起こして来いって兄さんに言われたの。今日はアリシアおばあさまの命日だって忘れたの?」 「……忘れてたわけじゃねーけどさ」 栗色の髪をがしがし掻きながら、ケインは床の上にあぐらをかいている。 「だったら、さっさと準備なさい。兄さんも待ってるから……それから、早くしないとミリイ特製の朝ご飯なく なるわよ?」 「そいつは困る」 上品な紺のスーツの上にエプロンを羽織ったミリイに、ケインはやっと微笑んだ。 「お、起きたか」 「んー、おっす。兄貴」 ダイニングに出ると、既に準備を整えていたナイトメアがコーヒーをすすっていた。 黒のスーツに、スタンドカラーのシャツ。いつもなら適当にブラシを通すだけの見事な長い金髪は、きち んと三つ編みにされていた。 「どしたの、兄貴。そのアタマ」 「ミリイにやられた。アリシア婆さんの前で、いつもの髪型はまずいだろうってな」 「それはまた」 肩をすくめ、笑った直後。 ちゅごごどどどんっっ!! キッチンに、意味不明の爆発音が響いた。 「ミリイの朝飯も出来たみてえだな」 「そうだな」 と、こともなげに会話をする二人の男。 「ただ、あの子が料理をすると、何故あんな音がするんだろうか?」 何気なく、疑問を口に出すナイトメアだった。 ミリイはいつも、料理をする度に怪しい爆発音をさせるのが得意のようである。 しかしキッチンはいつも何事もないかのように綺麗だし、そして何より彼女の料理は下手な三ツ星シェフ が作るよりも美味しいので。 「まあ、美味ければそれでいいんだがな」 という結論で解決するのが常だった。 「じゃ、そろそろ行くか」 「へーい」 3人は住んでいる屋敷を出て、車で出発した。 今日はケインの祖母、アリシアの命日。 親日家であった彼女は、終の棲家としてこの屋敷を購入した。 今は彼女の兄が管理しているが、住んでいるのは孫のケインとはとこの関係にあたるナイトメアやミリ イであった。 「どうだ、日本には慣れたか?」 「まあね」 「未だに、電車通学には馴れないけど」 「そうなのか?」 運転しているナイトメアの問いに、うんざり口調のミリイが答えた。 「朝の人ごみが凄いんだもん。兄さんもケインも車運転できるから羨ましいわ」 「そうか、ミリイはまだ免許も取れないんだったな」 「そうよ。日本の法律って時々不便よね」 苦笑して言うミリイにつられて、二人も小さく苦笑いを浮かべた。 もともとは、ナイトメアは留学のために日本に住んでいた。 ケインとミリイは、アリシアの兄の計らいで留学のために来日したのだ。 それから、もう1ヶ月が経とうとしている。 「――と、そうだ。先に爺さんの会社に寄っていくぞ。ケインは挨拶もまだだったろう」 「あ、わかった」 何気ない会話をしながら、車は目的地へと走っていく。 「ようこそ、日本へ」 「久し振りです。アルお爺さん」 ゲイザーコンツェルンの日本支社ビルの最上階で、ケインは久し振りに顔をあわせた老人に握手した。 アルバート=ヴァン=スターゲイザー。 最上階の一室に通された3人の前に座っていたのは、何故か和服を着て待っているこの男だった。 ナイトメアとミリイは、この老人の孫になる。 「どうしたんだ、爺さん。その和服」 「うむ、少し気が向いてな。ナイトメアもミリイも、元気そうで何よりだ」 「ええ、お爺ちゃん。久し振りです」 まあ飲みなさい、と勧められた茶を頂きながら、3人は思い思いに畳の上に腰を下ろしている。 ケインとナイトメアはあぐらをかき、ミリイだけが正座である。 「今日は、アリシアの命日だったな。あの子も本当に好奇心の旺盛な子だった」 「そうなのか?」 「うむ。確かケインとナイトメアは、アリシアから剣術の手ほどきを受けたと言っていたな」 「そうだが……」 アリシアは、その穏やかな風貌からは信じられないほどの剣の達人だった。幼いケインとナイトメアは、 そんな彼女の強さに憧れて剣術を習い始めたという過去がある。 「アリシアに剣術を教えたのは、何を隠そうこの私なのだよ。もっとも、実力はすぐにあの子に追い越され てしまったがね」 ははは、と陽気に笑い、アルバートが茶を含む。 「……うむ、今日の茶はいい具合に入っている」 「初耳です。アルお爺さんが、ばーちゃん……祖母の剣術の師匠だったなんて」 「俺も、聞いたことがなかったぞ」 「まあ、アリシアは隠しごとの多い子だったから……さあ、そろそろ時間もない。 アリシアに報告してきなさい」 「はい」 アルバートの穏やかな声に、3人は揃って立ち上がった。 「じゃ、行ってくる」 「うむ。そうそう、報告が済んだら、またここに寄りなさい。今日は比較的スケジュールが開いているから、 一緒に食事しよう」 「……どこに行くの?」 「アリシアが気に入っていた店が、このビルの近くにあるのだよ。さあ、行っておいで」 「……はい。じゃあ、行ってきます」 すたすたと立ち去る3人の後に残されたアルバートは、 「……あの子たちも本当に、大きくなったぞ。アリシア」 と、板の間に飾られた少女の写真に微笑んだ。 「久し振りに来たぜ、ばーちゃん」 広大で、静かな外国人墓地の一角。 そこに、ケインの祖母――アリシア=ブルーリバーは眠っていた。 道すがら購入した日本酒の栓を開け、ケインは墓石に降りかける。 「本当は俺もナイトメアもばーちゃんと一緒に呑みたいんだけどさ」 「ここの法律は、飲酒での運転は認められないんだ。すまない」 静かな表情で、ナイトメアとケインが口々に言った。 マーガレットの花束をそっと手向け、ミリイも言う。 「アリシアお婆さま。大好きだった、マーガレットです。 ……わたしね、日本の高校に留学しました。ケインも、こっちの大学に留学しているんですよ」 「ああ。ばーちゃんの考古学、勉強してみたくってさ」 ミリイの隣のケインは、照れ臭そうに微笑んだ。 「兄さんは大学院に進んだんですって」 「アリシア婆さんの学問を、別の視点で研究している。婆さんは、本当にロマンチストだったからな」 反対隣のナイトメアは、穏やかな表情で呟いた。 「……ばーちゃん。俺、久し振りにばーちゃんの夢を見た。10年前の話」 ゆっくりと、ケインが懐かしそうに言った。 「……あの時、俺たち子供だったから、どうしてばーちゃんがペンダントをくれたのか判らなかったけど。 でも、今は判る。 ばーちゃんは、俺たちに託したんだよな。 ばーちゃんの信じてる道を。だから……」 すっくと立ち上がり。 「ばーちゃんのように、考古学も出来るスタントマンになるぜ!!」 「どこからそういう発想になるんだ。お前は」 高らかに宣言したケインに、ナイトメアが冷ややかにツッコミを入れた。 と、その時だった。 「……こちらは、誰かのお墓ですか?」 柔らかな、女性の声。 振り返ると、彼女は立っていた。 淡いグリーンの長い髪。歳はナイトメアと同じ、24.5歳くらいか。 不思議な色彩を放った長いドレスを着て、小首を傾げるように立っている。 「……君は?」 代表して、ナイトメアが声をかけた。 それに軽く頭を下げ、彼女は微笑んだ。 「……ごめんなさい。友人の居場所を探しているの」 良く見れば、彼女の瞳は淡い紫色をしている。 ナイトメアやミリイも、同じ紫色の瞳をしているのだが、彼女のそれはもう少し薄い。 「我々でよければ手伝います。どんな方ですか?」 「……ええ、アリシア=ツァン=スターゲイザーという女性なの」 「……アリシア……って」 そこまで言って、3人は言葉に詰まった。 アリシア=ツァン=スターゲイザー。 それは、ケインの祖母、アリシアの結婚する前の名前である。 「……あの……」 お互いに顔を見合わせて言いにくそうにしていたが、やがてケインが事情を説明した。 自分たちは、そのアリシアの血縁の者であること。 そしてアリシアは、既に故人であることも。 女性は一瞬哀しそうに目を伏せたが、やがてゆったりと微笑んだ。 「……そうだったの、辛いことを言わせてごめんなさい。 私は、以前彼女に助けてもらったことがありました。だから、アリシアに一言お礼を言いたかったのだけ れど……」 「いや、君の責任ではないさ」 軽く首を振り、ナイトメアが否定する。 「どうもありがとう。……そうだわ、お願いがあるの」 「?」 「私にも、アリシアに手向けさせて下さい」 「そういうことなら、喜んで」 身も知らない女性の言葉に、ケインは微笑んで了承した。 彼女はアリシアの墓に跪き、何事かを呟く。 ただ、それだけだった。彼女は落ちついた動作で立ち上がり、3人に改めて頭を下げた。 「本当に、どうもありがとう」 言い残して、彼女は去っていった。 「しかし、あの人は何者だったのだろうか」 「彼女、アリシアお婆さまの知り合いみたいだったけど」 「少なくとも、俺は見たことねーぞ、あの人は」 アルバート氏との昼食も無事に終わり、車の中の3人は口々に言った。 今まで、お目に掛かったこともないような女性だったと思う。 まるで、ゲームの中に出て来るお姫さまのような女性だった。 「まあ、あのばーちゃんだからな。どんな知り合いがいたっておかしかねーや。 もっとも、ヤクザなんかと交流あったら驚くけどさ」 「それより、そんな奴と交流持とうとしないだろうが。あの人は」 ケインの言葉に、ナイトメアは鋭くツッコミを入れる。 以前、アルバート氏から聞いたことがあるのは、彼女は非常に正義感の強い女性であったということ だ。 そのためか、彼女の性格の一部は孫のケインにしっかりと引き継がれている。 「……にしてもさ、あの人綺麗だったわね。兄さん?」 「……何故俺にそんなことを訊く」 「決まってるじゃない。ああいう感じの人って、兄さんのタイプだからよ」 「へ、そーなの?!俺、てっきり女の人に興味無いって思ってたぜ」 ミリイが突然切り出した話題に、苦虫を噛み潰した表情のナイトメア。 助手席のケインは、興味津々といった顔で彼の顔を凝視する。 「そーよ。胸あって、長い髪で、優しそうで古風な人がタイプなの」 「……そこまでいうか……?」 「だって、本当のことじゃない」 「ははは、兄貴にも理想のタイプっていたんだ!」 「うるさい、そういうお前はどうなんだよ」 ナイトメアに話題を振られ、ケインは改めて考え込んだ。 暫しの間、沈黙。 「……ばーちゃんみたいな、好奇心旺盛で、明るい子……かなあ……」 「ケインらしいわねー。まあ、ババコンだからしょうがないか」 「んだとお!?」 「お前ら、車の中で喧嘩するな!」 日本で迎えた久し振りの休日は、こんな風に賑やかに過ぎていった。 |