小話『春のある日』


 「もうすぐ、ね」
 「?」
 ぽつりと言ったミリーナの言葉に、ルークはふと眉をひそめた。
 「…どうしたの、変な顔をして」
 …が、次の瞬間には、いつものクールな表情をたたえた彼女が 立っているのみ。
 「や、何でもねーけど」
 慌ててぶんぶんと首を振るルークに、そう、とだけ彼女は返してき た。
 宝探し屋(トレジャーハンター)になって、どれくらいの年月が経つ のだろう。
 最近は何故だか魔族と渡り合うようにもなってしまったが、基本的 には気兼ねのない旅である。
 彼女を追うように家を飛び出した日は、もう遠い。そんな風に、 ルークは感じる。
 だから、彼女の呟いた言葉が不思議に聞こえたのだ。
 だから。
 「…そっかー。俺のらぶらぶアタックも無駄じゃ…」
 「それは、無駄もいいところだけどね」
 言葉を遮ってクールに言い切るミリーナに、やはり寂しさを覚え る。
 と。
 「…あ?」
 ふと、鼻をついた良い香りに、ルークの視線があちらこちらをさま よいだした。
 「?」
 今度はミリーナが『どうしたの』と声を掛けてきたが、それにも構わ ずにルークは香りのする方向へと歩き出した。
 「ちょ、ちょっと。ルーク?」
 追いかけて声をかけるミリーナに、ルークは振り向いて声を上げ た。
 「―――見ろよ、ミリーナ!」
 「…あ…」
 二人の目の前に広がるのは、淡く清楚な紫色の絨毯…。
 いや、野性のラベンダーの群生だった。
 「…さっき言ってた『もうすぐ』って、この事だったんだな」
 小さく呟いたルークに、悪戯っぽく彼女が笑う。
 「聞こえていたのね」
 苦笑すると、ルークはラベンダーの花を幾つか摘んで。
 「好きなんだよな。…ラベンダー」
 彼女の顔を見ないまま、不器用に差し出した。
 「…」
 「…ミリーナ?」
 いつもなら『馬鹿ね』とでも言いそうなのに…。そう思いつつ、ルー クは彼女の顔を見た。
 透明な…優しい笑顔を浮かべたミリーナが、そこに立っていた。
 「…やっぱり、馬鹿なんだから」
 言って、ルークの手をそっと覆う。
 「わたしの誕生日なんて…覚えていたのね」
 「…昔、ミリーナが言ったのを覚えてただけだぜ」
 「それが、馬鹿だって言うのよ」
 ミリーナの呆れたような口調に、ルークは苦笑を一つする。
 「…仕方ねえだろ。本気で、惚れてるんだから」
 「…本当に、馬鹿なんだから…」
 その言葉には似つかわしくないほど、彼女の声は優しかった。
 ラベンダー畑の中、笑い合う二人。
 けれどその光景は、小さな恋人同志のように、見えた。